清和源氏満政流
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清和源氏満政流の松井氏は、源満政の6世の孫にして源頼朝の御家人となり、山城国綴喜郡の地頭職となった重行の系統がある(なお、同郡には、渡来人系(百済人とも)の松井氏があるがこれとは別系統である)。 子孫の一系統は、三河国に移り、後に徳川家康に仕え、幕臣・旗本となった。また、前掲の松井康之は清和源氏満政流で山城国綴喜郡松井庄の出身とする説もある。松井康之が肥後国移住の際、綴喜郡松井の菩提寺にあった父正之の墓を所領に移転したという。
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清和源氏満政流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 06:55 UTC 版)
清和源氏2代目の源満仲の弟の源満政の子孫という一方、河内の古代氏族の日下部氏の子孫ともいわれる。南朝方の武将に、楠木正成と共に鎌倉幕府軍を赤坂城で迎え撃った平野将監重吉がいる。
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