清和源氏秋山氏族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 01:50 UTC 版)
同じく新羅三郎義光の末裔に別系統の深沢氏あり。即ち、甲斐源氏の秋山氏の庶流。即ち、義光の三男で甲斐源氏の祖 武田冠者義清と佐竹の祖 義業の女との間に生まれた源清光の流れを汲み、その三男 加賀美遠光の嫡男 光朝より秋山氏起こる。その裔、帯刀左衛門光章の孫 六郎左衛門尉光盛、山梨東郡深沢に拠りて深沢氏を名乗るという。その十代の後胤 深沢幸左衛門光景という。 また、安芸国守護武田信武に従った逸見信経・有朝父子は、鎌倉時代に活躍した武田氏流の子孫ではなく、秋山氏流深沢氏の出身で信武の信任を受けて逸見の名字を与えられたと言われている。信経の祖父である深沢太郎隆経(禅円)と前述の光盛の関係は不明であるが大善寺古文書に深沢の領主として登場する「深沢善縁」と同一人物と推定され、その息子である深沢五郎有経(禅心)は平賀有義の子と推定される平賀九郎有信(念仏)から承久の乱の恩賞地である安芸国安芸町村地頭職などを譲られ、信経父子はその縁で安芸に赴いたと考えられている。信経の嫡男である有経は安芸に定着したものの子孫に恵まれなかったために備後国の三吉秀明に所領を譲ったとされるが、有経の兄弟たちはそのまま甲斐に残ったと考えられ、室町時代に鎌倉府の支持を受けて甲斐守護を称した逸見有直がその末裔であった可能性が指摘されている。
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