明暦の大火以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 01:29 UTC 版)
明暦3年(1657年)正月、本郷から発生した火事は、江戸の歴史上最悪の被害となった。明暦の大火(振袖火事)と呼ばれるこの火事のため、江戸城天守閣は焼失し、江戸市中で約68000人ともされる犠牲者を出した。 明暦の大火により、従来の方法では大火に対処できないことが明らかになったため、以後の江戸幕府は消防制度の確立に力を注いだ。江戸市中の再建では、大名屋敷・旗本屋敷や寺社の一部を郊外に移転させ、延焼を防ぐための火除地を確保した。また、瓦葺屋根や土蔵造りなどの耐火建築を奨励し、火事に強い町づくりを目指した。そして、新たな消防組織である方角火消・定火消を編成している。
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