慶長銀の鋳造量
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 16:14 UTC 版)
慶長期の貨幣(小判および丁銀)は「手前吹き」と称して、金銀細工師が自己責任で地金を入手し、貨幣の形に加工した上で、金座および銀座に納め、極印が打たれ発行される形式であり、さらに明暦の大火による『銀座書留』など記録史料焼失のため慶長金銀の正確な鋳造量の記録は無い。 しかし、後に新井白石らの推定による貿易決済としての海外流出高と、元禄金銀への吹替え高などから推定した数値によれば、丁銀および豆板銀の合計で120万貫(約4,480トン)である。 『月堂見聞集』では鋳造量を35万貫余(約1,300トン)としているが、慶長銀の海外流出高から考えて疑問とされる。 明暦の大火以降、万治2年(1659年)、江戸城三の丸の地で御金蔵の焼損金銀を用いて103,484貫753匁余(約386トン)の丁銀が鋳造された。 天領の銀山から上納された公儀灰吹銀を預り、丁銀を吹きたてた場合の銀座の諸経費および収入である分一銀(ぶいちぎん)は鋳造高の3%とされ、残りは幕府に上納した。
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