明暦大判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/01 04:55 UTC 版)
明暦3年(1657年)の明暦の大火による被害は江戸城の天守および御金蔵まで及び、鎔け流れた金銀を明暦4年(1658年)より万治3年(1660年)に掛けて江戸城三の丸で吹き直し鋳造された大判が明暦大判(めいれきおおばん)と呼ばれるが、慶長大判の一種として扱われる。形状はやや撫肩のものとなり、鏨目は粗くなり、やや右肩上がりの方向に打たれたものが多い。その後、京都の大判座でも大判が鋳造された。墨書きはいずれも九代程乗のものである。現存数は慶長大判の中ではこの明暦判は少ない。 明暦判(めいれきばん)もしくは江戸判(えどばん):裏面に「久・七・新」または「九・七・竹」の極印が打たれている。 三ツ極印(みつごくいん):京都の大判座で明暦年間以降に鋳造。裏面に「弥・七・九」、「次・七・九」、「坂・七・九」、「弥・七・新」のいずれかの極印が打たれている。 四ツ極印(よつごくいん):京都の大判座で明暦年間以降に鋳造。裏面に「次・七・源・九」、「坂・七・源・九」、「弥・七・源・九」のいずれかの極印が打たれている。
※この「明暦大判」の解説は、「慶長大判」の解説の一部です。
「明暦大判」を含む「慶長大判」の記事については、「慶長大判」の概要を参照ください。
- 明暦大判のページへのリンク