相当因果関係説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 03:44 UTC 版)
「因果関係 (法学)」の記事における「相当因果関係説」の解説
相当因果関係説(そうとういんがかんけいせつ)とは、因果関係の内容として、条件関係に加えて相当性があることが必要とする説である。相当説ともいう。 条件関係だけでは構成要件に該当する対象が余りにも拡大しすぎ、偶発的な事態や異常な事態による結果についても帰責されてしまうおそれがある。相当因果関係説では、ある行為からある結果が発生することが一般に予想することができない場合は、条件関係は成立しても因果関係は成立しないとする。したがって、因果関係の有無を判断する上で偶発的な事情や異常な事態を排除して考えることができ、刑法の謙抑性にも適う結果が得られるとして日本刑法学における通説となった。一方、ドイツでは因果関係に関し条件説が通説である。 相当性とは、「社会生活上の経験に照らして、通常その行為からその結果が発生することが相当だとみられる関係」(因果経路の通常性)といわれる。この、相当性の有無を判断する際に、その基礎(判断基底)としてどのような事情を考慮すべきか(つまり相当性を判断する判断材料に何を採用するか)によって、伝統的には以下の三説に分けられる。 主観説(主観的相当因果関係説)主観説とは行為者が行為当時認識・予見していた事情及び認識・予見しえた事情を基礎として判断する見解のことである。例えばAは、一見健康に見えるBが実は重度の心臓病であることを知らずに、背後からタックルをして強いショックを与え、死亡させたとする。このときAはBの心臓病について知らなかったのだから、たとえ一般人なら知りえたとしても、そのことは判断材料から除外される。よって、健康な人に後ろからぶつかって死亡させてしまうということは通常考えられず、Aの行為とBの死亡という結果の間には「因果関係がない」ということになる。今日、支持者はほとんど見られない。 客観説(客観的相当因果関係説)客観説とは、行為当時に客観的に存在したすべての事情を基礎として判断する見解のことである。行為後に生じた事情についても、それが行為時に予見可能であった限りすべて考慮するとされる。上記の例でいえば、Aが知っていたかどうかは問題でなく、とにかく当時Bが重度の心臓病であったことは事実であるから、これは判断材料に含まれる。よって、重度の心臓病患者に背後から強い衝撃を与えれば死んでしまうかも知れないということは通常予想の範囲内であり、Aの行為とBの死亡という結果の間には「因果関係がある」ということになる。 折衷説(折衷的相当因果関係説)(旧通説)折衷説とは、行為当時一般人に認識・予見可能であった事情と、行為者が特に認識・予見していた事情を基礎として判断する見解のことである。行為後の事情については、行為の際に、一般人の予測しえた事情と、行為者の予測していた事情を、判断の基礎事情とするとされる。上記の例でいえば、一般人にはBの病気を知ることはできず、Aも知らなかったのであるから、これを判断材料に含めることはできない。つまり、Bが重度の心臓病を患っていたということは無視される。よって、健康な人に後ろからぶつかって死亡させてしまうということは通常考えられず、Aの行為とBの死亡という結果の間には「因果関係がない」ということになる。 長きに渡り客観説と折衷説との間で論争がなされ、折衷説が通説の地位を築いてきたが、いわゆる大阪南港事件に端を発する後述の「相当因果関係の危機」を契機として、近年、危険の現実化説が新たに通説の地位を占めるようになった。過去の判例は条件説を判示していたが、現在では条件説をベースに行為後に介入した事情をどの程度因果経過に含めて評価するかについて危険の現実化の枠組みを使っていると評価されている。
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