中国の鬼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 21:14 UTC 版)
中国で鬼(拼音: guǐ〈グゥイ〉)という場合、死霊、死者の霊魂のことを指す。日本で言う「幽霊」の方がニュアンスとして近い(中国語版ウィキペディアの記事『鬼』は、日本語版『亡霊』にリンクされている)。中国語では、直接『鬼』と呼ぶのはタブーであることから、婉曲して好兄弟ともいう。また日本にもこの思想が入っており、人が死ぬことを指して「鬼籍に入る」などと言う言い方がある他、元来の意味合いと混交したイメージでも捉えられている。 中国文学者・駒田信二によれば、中国では幽魂・幽霊・亡魂・亡霊などが人間の形で現れたものを鬼といい、多くは若い娘の亡霊で、この世の人間を恋い慕って情交を求めてくる。見た目は人間と変わらないばかりか、絶世の美女であることも多いため、現れるのを待ち望んで契りを結ぶ話(唐『才鬼記』、「州長官の娘」)や、別れをかなしむ話(六朝『捜神記』、「赤い上着」)、再会の約束をはたそうとする話(唐『酉陽雑俎』、「夫人の墓」)などもある。人間に生きかえる話(唐『広異記』、「生きかえった娘」)や、子供を生む話(「赤い上着」)、妊娠中に死んで墓の中で子を生み育てる話(宋『夷堅志』、「餅を買う女」)、密通により身ごもる話(宋『夷堅志』、「孕った娘」)などもあり、一般には、人間は亡霊と情交しつづけているといずれ死ぬ、というのが中国の亡霊(鬼)説話の主流であるという。 日本でも教養ある平安貴族の中には、死霊の意味で「鬼」という言葉を用いている事例があり、藤原実資は関白藤原頼通が伯父藤原道隆の「鬼霊」 によって病に倒れた(『小右記』長元2年9月13日・18日条)と記し、藤原頼長も鳥羽法皇の病が祖父白河法皇の「鬼」に憑かれたものである(『台記』久安元年12月4日・11日条)と記している。また、この時代に描かれたと推測されている『吉備大臣入唐絵巻』にも、奈良時代に唐で客死した阿倍仲麻呂が家族のことを心配して遣唐使時代の同僚であった吉備真備の元へ鬼の姿で現れるが、赤い褌をした裸の姿で、頭には一本角と逆立つ髪の毛、真っ赤な肌、大きな口に鋭い歯、手足の指は3本ずつ、という姿になっていた。これを見た真備は人に会う格好ではないと追い払ったところ、後日になって今度は衣冠を整えた仲麻呂が再び真備を訪れたが赤い肌と3本指は隠せなかった様子が記されている。 また、中国では鬼とは亡者(幽霊)に限らず、この世のものでないもの、化け物全般を指す言葉でもあり、貝塚茂樹によれば、鬼という字は「由」と「人」から成り立っており、人が由、すなわち大きな面をかぶっている形を表したもので、古代国家の祭祀の主宰者であった巫が降霊術を行うとき、異形の面をかぶった姿を象形化したものであろうとされている。
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