『山海経』とは? わかりやすく解説

『山海経』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 07:29 UTC 版)

粛慎 (中国)」の記事における「『山海経』」の解説

肅慎之國在白民北。有名曰雄常。先入伐帝、於此取之。(海外西経粛慎の国は白民の北にある。雄常という名前の木がある。晋の郭璞の注によると、粛慎習慣として、衣服着ないが、中国で、聖帝即位すると、雄常の木の皮を剥いで、衣服にするとされている。 大荒中有山、名曰不咸。有肅慎氏之國。(大荒北経大荒中に不咸をいう名の山がある。粛慎氏の国がある。

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『山海経』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 07:47 UTC 版)

倭・倭人関連の中国文献」の記事における「『山海経』」の解説

中国語版ウィキソースに本記事関連した原文あります山海經 『山海経』第十二「海内北経」 「國在鉅燕南 倭北 倭屬燕」国は鉅燕の南、倭の北にあり。 倭は燕に属す。 倭は燕に朝貢していたと考えられていたことがわかる。ただし、同書伝説集または神話集の体裁をとっており、「架空の国」や「架空産物」が多く史実忠実に反映したものとみなすことについては疑問視されている。『山海経』第九 海外東經では、東方海中に「黒歯国」があり、その北に「扶桑」が生え太陽昇る国があるとされていた。この黒歯国と倭が関連付けられている記載として、以下のものがある。 『三国志』魏書東夷伝倭人条(魏志倭人伝)「去女王四千餘里又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可」女王卑弥呼)国を去ること4000余里(≒4200〜4300里)に裸国有り、また黒歯国在り、(裸国から)東南に船で一年で至る。 『梁書』五十列伝第四十八 諸夷東夷条 倭「其南有侏儒國 人長三四尺 又南黑齒國 裸國 去倭四千餘里 船行一年至 」その(女王国の)南に侏儒国有り、(侏儒国の)人の身長三四尺(古代中国の1尺は隋より前は約23cmなので、三四尺は23cm×3=69cm〜23cm×4=92cm)である。また南に黒歯国裸国があり、倭を去ること4000余里(≒4200〜4300里)、船で行けば1年で至る。

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