山脇家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 02:59 UTC 版)
楠木正成の末裔とも伝えられる山脇家の祖は、橘姓を名乗って近江国浅井郡山脇村(現滋賀県長浜市湖北町山脇)に住んでいた。 初代は山脇玄心(1596-1678年)で慶長年間に曲直瀬玄朔に学んで侍医となった。玄心の養子となった山脇玄脩が二代目、この山脇家の養子に入って三代目を継いだのが山脇東洋である。以下、四代東門(1735-1782)、五代東海(1757-1834)、六代東圃、七代東州、八代忠孚、九代圭吉、十代洋二と続く。 四代東門、五代東海は、いずれも法眼に進んで解剖を行い図巻を著している。十代山脇洋二(1907-1982)は彫金家として東京芸術大学の名誉教授をつとめた。
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