山脇東洋観臓記念碑
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1976年3月7日に山脇東洋が日本で最初に観臓した地、旧六角獄舎跡に山脇東洋観臓記念碑を建立除幕した。碑の設計は守屋正、碑銘・碑文は宗田一が作成した。碑は高さ、幅とも約2mで、大島石および北木石で作られている。 ・碑銘 日本近代医学のあけぼの 山脇東洋観臓之地 1754・宝暦四年閏二月七日 ・碑文 近代医学のあけぼの 観臓の記念に 1754年宝暦4年閏2月7日に山脇東洋(名は尚徳1705-1762)は所司代の官許をえてこの地で日本最初の人体解屍観臓をおこなった 江戸の杉田玄白らの観臓に先立つこと17年前であったこの記録は5年後に「臓志」としてまとめられた これが実証的な科学精神を医学にとり入れた成果のはじめで日本の近代医学がこれからめばえるきっかけとなった 東洋のこの偉業をたたえるとともに観臓された屈嘉の霊をなぐさめるためここに碑をたてて記念とする 1976年3月 日本医師会 日本医史学会 日本解剖学会 京都府医師会
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