山脇東洋観臓記念碑とは? わかりやすく解説

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山脇東洋観臓記念碑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 01:08 UTC 版)

北木石」の記事における「山脇東洋観臓記念碑」の解説

1976年3月7日山脇東洋日本最初に観臓した地、旧六角獄舎跡に山脇東洋観臓記念碑を建立除幕した。碑の設計守屋正、碑銘碑文宗田一作成した。碑は高さ、幅とも約2mで、大島石および北木石作られている。 ・碑銘 日本近代医学あけぼの 山脇東洋観臓之地 1754・宝暦四年閏二月七日碑文 近代医学あけぼの 観臓の記念に 1754年宝暦4年2月7日山脇東洋(名は尚徳1705-1762)は所司代官許をえてこの地で日本最初の人解屍観臓をおこなった 江戸杉田玄白らの観臓に先立つこと17年前であったこの記録5年後に「臓志」としてまとめられた これが実証的な科学精神医学にとり入れた成果のはじめで日本近代医学これからめばえるきっかけとなった 東洋のこの偉業たたえるとともに観臓された屈嘉の霊をなぐさめるためここに碑をたてて記念とする 1976年3月 日本医師会 日本医史学会 日本解剖学会 京都府医師会

※この「山脇東洋観臓記念碑」の解説は、「北木石」の解説の一部です。
「山脇東洋観臓記念碑」を含む「北木石」の記事については、「北木石」の概要を参照ください。

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