政権1周年デモ
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「2013年エジプトクーデター」の記事における「政権1周年デモ」の解説
2013年1月頃から、アブドルファッターフ・アッ=シーシーエジプト軍最高評議会議長は、情勢に何かあれば軍が介入することを示唆するようになった。4月28日には都市部の青年たちにを中心に、反政府運動「タマッルド(抵抗)(英語版)」が結成され、6月29日までに2200万以上の署名を集めた。反政府派は、軍の介入を期待し、ムルシーの大統領就任1年にあたる2013年6月30日に大規模な反政府デモを計画。同日に政府支持デモも計画され、その数日前より中央治安部隊(英語版)とデモ隊が衝突、犠牲者が出るなど緊張が高まった。6月30日には首都カイロ中心部のタハリール広場をはじめアレクサンドリア、マンスーラ、ミヌーフィーヤ、タンタ、エル=マハッラ・エル=コブラ、スエズ、ポートサイド、そしてザガジグなどエジプト全土で数百万人が反政府デモに参加。ムスリム同胞団による権利独占などを非難し、ムルシー大統領の退陣を求めた。デモそのものは当初、平和的に行われたが夜になって一部が暴徒化し、批判の対象となったムスリム同胞団は本部に火炎瓶や石を投げ込まれるなどデモ隊約150人による襲撃を受けた ほか、銃撃もされた。同胞団からはデモ隊がクーデターを企てているという非難の声もあがった。7月1日には観光大臣、通信・情報技術大臣、人民議会・諮問評議会担当大臣、そして環境担当大臣の4閣僚が反政府デモに同調し辞任し、7月2日にはムハンマド・カーメル・アムル外務大臣及び大統領府報道官2人が辞任を表明したと報じられた ほか、外交官約150人の連名での「国民の要求を支持する」との声明が出された。なお、デモ参加者が増大した背景として、世俗勢力の動員力が乏しい事から旧体制勢力の関与の可能性が指摘されている。 こうした中、ムルシー政権と距離を置いてきた軍は事態の収拾に乗り出す。6月23日にアブドルファッターフ・アッ=シーシー国防大臣兼エジプト国軍総司令官は国が大混乱に陥った場合の軍による介入を警告し、1週間の猶予を与えた。しかし事態は改善されず、7月1日、軍はテレビやラジオを通じて声明を発表し、ムルシーに対し48時間以内に国民の希望を実現する包括的なロードマップで合意するよう要求。期限内に実現されない場合は軍が自ら将来のロードマップを示し、その履行を監督するとし、これは事実上の最後通告と受け止められた。ただし、軍の報道官は軍事クーデターは容認しないとも述べ、政治勢力や支配勢力への加担を否定した。 主要野党で構成される政党連合「国民救済戦線(英語版)」による最後通告を歓迎し、反政府デモ隊の集まるタハリール広場では花火が打ち上げられたが、7月2日未明、大統領府は軍の要求を拒否し、国民和解に向けた政府の計画を堅持すると発表し、またムルシー政権は憲法上正当なものであるとして、軍による要求を撤回するよう要求した。ムルシー自らも2日にテレビ演説を行い、自分は選挙で選ばれた大統領であり、国民が制定した憲法上の正統性は尊重されるべきであると主張。軍は本来の任務に戻るべきであるとしたほか、大統領を辞任する意向がないことを表明した。
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