政権1周年デモとは? わかりやすく解説

政権1周年デモ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 23:37 UTC 版)

2013年エジプトクーデター」の記事における「政権1周年デモ」の解説

2013年1月頃から、アブドルファッターフ・アッ=シーシーエジプト軍最高評議会議長は、情勢に何かあれば軍が介入することを示唆するようになった4月28日には都市部青年たちにを中心に反政府運動「タマッルド(抵抗)(英語版)」が結成され6月29日までに2200上の署名集めた反政府派は、軍の介入期待し、ムルシーの大統領就任1年にあたる2013年6月30日大規模な反政府デモ計画同日政府支持デモ計画され、その数日前より中央治安部隊英語版)とデモ隊衝突犠牲者が出るなど緊張高まった6月30日には首都カイロ中心部タハリール広場をはじめアレクサンドリアマンスーラ、ミヌーフィーヤ、タンタエル=マハッラ・エル=コブラスエズポートサイド、そしてザガジグなどエジプト全土数百万人反政府デモ参加ムスリム同胞団による権利独占などを非難し、ムルシー大統領退陣求めたデモそのもの当初平和的に行われた夜になって一部暴徒化し、批判対象となったムスリム同胞団本部火炎瓶や石を投げ込まれるなどデモ隊150人による襲撃受けた ほか、銃撃もされた。同胞団からはデモ隊クーデター企てているという非難の声もあがった7月1日には観光大臣通信・情報技術大臣人民議会諮問評議会担当大臣、そして環境担当大臣の4閣僚反政府デモ同調し辞任し7月2日にはムハンマド・カーメル・アムル外務大臣及び大統領府報道官2人辞任表明した報じられた ほか、外交官150人の連名での「国民要求支持する」との声明出された。なお、デモ参加者増大した背景として、世俗勢力動員力が乏しい事から旧体制勢力関与可能性指摘されている。 こうした中、ムルシー政権と距離を置いてきた軍は事態の収拾乗り出す6月23日アブドルファッターフ・アッ=シーシー国防大臣エジプト国軍総司令官は国が大混乱陥った場合の軍による介入警告し1週間猶予与えた。しかし事態改善されず、7月1日、軍はテレビラジオ通じて声明発表し、ムルシーに対し48時間以内国民希望実現する包括的なロードマップ合意するよう要求期限内に実現されない場合は軍が自ら将来ロードマップ示し、その履行監督するとし、これは事実上最後通告受け止められた。ただし、軍の報道官軍事クーデター容認しないとも述べ政治勢力支配勢力への加担否定した主要野党構成される政党連合国民救済戦線英語版)」による最後通告歓迎し反政府デモ隊の集まるタハリール広場では花火打ち上げられたが、7月2日未明大統領府は軍の要求拒否し国民和解向けた政府計画堅持する発表し、またムルシー政権憲法上正当なものであるとして、軍による要求撤回するよう要求した。ムルシー自らも2日テレビ演説行い自分選挙選ばれ大統領であり、国民制定した憲法上の正統性尊重されるべきであると主張。軍は本来の任務に戻るべきであるとしたほか、大統領辞任する意向がないことを表明した

※この「政権1周年デモ」の解説は、「2013年エジプトクーデター」の解説の一部です。
「政権1周年デモ」を含む「2013年エジプトクーデター」の記事については、「2013年エジプトクーデター」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「政権1周年デモ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「政権1周年デモ」の関連用語

政権1周年デモのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



政権1周年デモのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの2013年エジプトクーデター (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS