末森城の戦いとは? わかりやすく解説

末森城の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/29 13:27 UTC 版)

末森城の戦い

末森城本丸跡
戦争戦国時代 (日本)
年月日天正12年9月9日1584年10月12日
場所能登国末森城
結果前田利家側の勝利
交戦勢力
前田軍 佐々軍
指導者・指揮官
前田利家
前田利長
前田秀継
不破勝光
奥村永福
千秋範昌
佐々成政
神保氏張
佐々平左衛門
戦力
2,800
(末森城300
前田軍2,500)
15,000
損害
約750 約750
小牧・長久手の戦い

末森城の戦い(すえもりじょうのたたかい)は、天正12年9月9日1584年10月12日)に能登国末森城石川県羽咋郡宝達志水町)で行われた攻城戦である。末森の合戦ともいう。

戦いの経緯

天正12年(1584年)、羽柴秀吉織田信雄徳川家康連合軍が小牧長久手の地で対峙した。越中国佐々成政は、当初は丹羽長秀を介した秀吉の出陣要請に応じて、佐々平左衛門を小牧の羽柴軍に派遣していたが、7月に羽柴軍に参加していた北陸勢が帰国をするとにわかに織田徳川連合軍に呼応した。帰国した北陸勢の中にいた佐々平左衛門から羽柴軍の苦戦を伝えられた成政は織田・徳川側の誘いに応える決断をしたと推測されている[1]

成政は、8月28日羽柴方の前田利家朝日山城(石川県金沢市加賀朝日町)を急襲。前田家家臣の村井長頼がこれを撃退する。

9月9日、成政は利家の領国である加賀国と能登国の分断をはかるべく、宝達山を越えて坪山砦に布陣し、総勢15000人で末森城を包囲する。利家の増援軍を警戒し、神保氏張を北川尻に置いて警戒にあたらせた。

9月10日、戦闘が始まると城将奥村永福・千秋範昌らの篭城軍300人[注釈 1]が篭城戦を展開。戦況は佐々軍が有利であり、前田方の城代土肥次茂(土肥親真の弟)が討死するなど、落城寸前にまで追い込まれる。

金沢城にて急報を聞いた前田利家は兵2500人を率いて出陣。高松村(かほく市)の農民桜井三郎左衛門の案内により、佐々軍の手薄な海岸路に沿いながら北川尻を越えて今浜まで進軍する。9月11日明け方には末森城に殺到する佐々軍の背後から攻撃し、これを破った。両軍ともに750人余りの死者が出たとされる[2]

戦後

佐々成政は越中国に向けて退却するが、途中で無人であった鳥越城(石川県河北郡津幡町七黒)を占領している[注釈 2]。以降、成政は守備を固めて守勢に転じた。前田利家は領国の防衛に成功し、小牧・長久手の戦いで政治的勝利を収めた羽柴秀吉と協力し攻勢を強めていく(富山の役)。

末森城の戦いに関する創作

注釈

  1. ^ 500人との説もある。
  2. ^ 城将の目賀田右衛門、丹羽源太郎の両名が「利家が末森の戦いに敗れた」との誤報により城を放棄していた。「温故集録」、「津幡町HP」より

脚注

  1. ^ 高岡徹「小牧・長久手の戦いと越中―秀吉陣立書と成政の蜂起―」『富山史壇』第183号、2017年。/萩原大輔『シリーズ・織豊大名の研究 第十一巻 佐々成政』戎光祥出版、2023年。2023年、P171-184.
  2. ^ 『図説 前田利家』(図説前田利家編纂委員会、尾山神社、1999年4月)

外部リンク


末森城の戦い

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小牧・長久手の戦い」の記事における「末森城の戦い」の解説

9月9日には家康呼応した佐々成政能登国末森城石川県宝達志水町)を約1万の兵で総攻撃し落城寸前にまで至らしめたが、前田利家反撃遭って退却した(末森城の戦い)。

※この「末森城の戦い」の解説は、「小牧・長久手の戦い」の解説の一部です。
「末森城の戦い」を含む「小牧・長久手の戦い」の記事については、「小牧・長久手の戦い」の概要を参照ください。

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