篠原保智
篠原保智(保智姫 1595年-1614年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 05:44 UTC 版)
「篠原一貞」の記事における「篠原保智(保智姫 1595年-1614年)」の解説
清妙院殿華萼貞香大姉。前田利家の九女。母は、芳春院の侍女で利家の側室となった岩(隆興院)。家臣筆頭・篠原一孝(豊臣一孝、17000石)の嫡男・主膳一由(篠原貞秀)に嫁ぐ。二人の間には「岩松」が生まれる。禁教令下、熱心なキリスト教信者であったが、1614年、死去。金沢市・野田山墓地にある清妙院の墓(前田家墓地内にある「石龕」という石造りの霊屋)に文久三癸亥年(1863年)「篠原勘六一貞」の銘の二基の献灯が存在する。なお、高野山・奥の院、前田利長の五輪塔(「三番碑」)背後に存在する「芳春院様内」と記された6基の五輪塔(篠原氏一族のもの)のうち2基が主膳一由(篠原貞秀)と夫人(保智)のものである。
※この「篠原保智(保智姫 1595年-1614年)」の解説は、「篠原一貞」の解説の一部です。
「篠原保智(保智姫 1595年-1614年)」を含む「篠原一貞」の記事については、「篠原一貞」の概要を参照ください。
- 篠原保智のページへのリンク