保智(清妙院)の法要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 05:56 UTC 版)
藩主(前田宗家)から嫁いできた清妙院(保智)の法要は、代々、大切に行われた。篠原別家・10代当主、篠原一進(頼母)が「文化10年(1813年)6月24日、野田桃雲寺において清妙院様二百回御忌御茶湯を執行」(藩主・前田斉広から香典・白銀三枚を授かる)と記録され、篠原別家・12代当主、篠原一貞(勘六)が「文久3年(1863年)6月24日は清妙院様二百五十回御忌に相当するが、魚津詰を命じられたので、くり上げて同年1月24日に野田桃雲寺において御茶湯を執行」(藩主・前田斉泰から香典・白銀二枚を授かる)と記録されている。野田山、清妙院(保智)の墓所には「文久三癸亥年」(篠原勘六一貞銘)の一双の献灯が存在する。
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