依田康信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/27 08:22 UTC 版)
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 大膳亮、下総守 |
主君 | 北条氏邦、北条氏政 |
氏族 | 依田氏 |
子 | 依田大膳亮 |
依田 康信(よだ やすのぶ)は戦国時代の武将。後北条氏家臣。評定衆、御馬廻衆、寄親を務めた。
生涯
永禄10年(1567年)12月に北条氏邦の朱印状奏者として見えるのが初見。はじめは氏邦の家臣であったが、元亀3年(1572年)5月ごろには当主である北条氏政の側近になり、御馬廻衆に編成された[1]。
天正5年(1577年)2月ごろより、下総守康信の名で評定衆として名がみえ、以後、主要署判者の一人となっている。同10年(1582年)ごろからは寄親の一人となっている[1]。
天正16年(1588年)7月20日が終見。嫡子と思われる依田大膳亮が後を継いだ[1]。
脚注
参考文献
- 黒田基樹『戦国北条家一族事典』戎光祥出版、2018年。ISBN 978-4-86403-289-6。
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