越相同盟とは? わかりやすく解説

越相同盟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/18 00:03 UTC 版)

越相同盟/越相一和(えつそうどうめい/えつそういちわ)は、戦国時代永禄12年(1569年)に甲斐武田信玄に対抗するため越後上杉謙信相模北条氏政が結んだ軍事同盟である。本項では、これに対抗するために武田信玄と安房里見義弘が結んだ軍事同盟である甲房同盟(こうぼうどうめい)についても解説する。


  1. ^ 丸島和洋『戦国大名の「外交」』(2013年 講談社選書メチエ)P45及びP151
  2. ^ 北条氏康書状(上杉家文書:米沢市上杉博物館所蔵)(鉢形城歴史館 2014, p. 18(写真掲載))
  3. ^ 北条氏康・氏政連署書状(上杉家文書:米沢市上杉博物館所蔵)(鉢形城歴史館 2014, p. 21(写真掲載))
  4. ^ 北条氏康・氏政連署覚書写(上杉家文書:米沢市上杉博物館所蔵)(鉢形城歴史館 2014, p. 20(写真掲載))


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越相同盟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:48 UTC 版)

上杉謙信」の記事における「越相同盟」の解説

永禄11年1568年12月、氏康は甲相駿三国同盟破って駿河国侵攻していた信玄断交長年敵対してきた輝虎との和睦を探るようになる信玄はさらに氏真を破り駿府城攻略した。これにより力の均衡崩れて氏康の居城小田原城危機迫ったため、氏康はそれまで盟友であった信玄激しく敵対する北条氏は東に里見氏、北に上杉氏、西に武田氏と、三方向に敵を抱え苦し情勢となった永禄12年1569年1月、氏康は輝虎に和を請う。これに対し輝虎当初、この和睦積極的でなかった。しかし度重なる関東出兵国内の不満が高まっており、また上方の関宿城北条氏照攻撃晒されており(第二次関宿合戦)、これを救うためにも北条氏との和議模索し始める。3月信玄への牽制意図もあり北条氏との講和受諾宿敵ともいえる氏康と同盟する(越相同盟)。 この同盟に基づき北条氏照関宿城包囲解除上野国北条方の豪族輝虎に降る。北条高広帰参許された。輝虎北条氏関東管領職を認めさせた上、上野国確保したため、これより本格的に北陸諸国平定目指すことになる。しかし一方で北条氏擁する足利義氏古河公方として認めることにもなり、越相同盟により上杉方の関東諸将輝虎に対して不信感を抱く結果となった長年に亘り北条氏敵対してきた里見義弘輝虎との同盟破棄し信玄同盟を結ぶなど北条氏敵対する姿勢を崩さなかった。なお輝虎この年の閏5月足利義昭入洛祝し織田信長贈っている。 永禄12年1569年8月前年続いて越中出兵し、椎名康胤を討つため大軍率いて松倉城百日間に亘り攻囲松倉城の戦い)。支城金山城攻め落としたものの、信玄上野国侵攻したため松倉城攻城途中で帰国し上野沼田城入城した元亀元年1570年1月下野において再び佐野昌綱背いたため唐沢山城攻撃するも、攻め落とすことは出来なかった。10月、氏康から支援要請受けたため上野国出陣し武田軍交戦した後、年内帰国した元亀元年1570年4月、氏康の七男(異説あり)である北条三郎養子として迎えた輝虎は、三郎のことを大い気に入って景虎という自身の初名を与えとともに一族衆として厚遇したという。12月には法号不識庵謙信」を称した元亀2年1571年2月、28千人の兵を率いて再び越中国出陣椎名康胤立て籠もる富山城をはじめ、数年に亘り謙信苦しめた新庄城守山城などを攻撃した椎名康胤激し抗戦を受けるも、これらを落城させる。しかし椎名康胤落ち延び越中一向一揆手を組み協同して謙信への抵抗続ける。その後幾度となく富山城奪い合うことになり、越中支配をかけた上杉謙信越中一向一揆戦い熾烈極めることになる(越中大乱)。 11月には北条氏政から支援要請があったため関東出兵佐竹義重信玄通じて小田氏治攻めたため、謙信上野総社城に出陣して氏治を援助した。なおこの年2月謙信と共に信玄敵対している徳川家康は、新春祝して謙信太刀贈っている。

※この「越相同盟」の解説は、「上杉謙信」の解説の一部です。
「越相同盟」を含む「上杉謙信」の記事については、「上杉謙信」の概要を参照ください。

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