風魔とは? わかりやすく解説

風魔

作者鷲尾三郎

収載図書絢爛たる殺人本格推理マガジン 特集知られざる探偵たち
出版社光文社
刊行年月2000.10
シリーズ名光文社文庫

収載図書鷲尾三郎名作選―本格ミステリコレクション 6
出版社河出書房新社
刊行年月2002.10
シリーズ名河出文庫


風魔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 15:28 UTC 版)

風魔(かざま/ふうま)、風摩風广は、三浦浄心の『北条五代記』において、北条氏直に扶持され、天正9年(1581年)の「黄瀬川の戦い」で敵方の武田の陣に夜討ちをする集団を率いた乱波として紹介されている人物。後北条氏の発給文書などに名前のみえる「風間出羽守」や、『関八州古戦録』などに名前のみえる「風間孫右衛門」はそのモデルとみられている。


  1. ^ 『北条五代記』巻9 「関東の乱波智略の事」萩原龍夫(校注)『北条史料集』人物往来社、1966年、397-401頁。 
  2. ^ 写本、内閣文庫
  3. ^ 「風麿」表記としている例もある。推定文化9年(1812年)頃成立の『三浦郡神社寺院民家戸数並古城旧跡』の林村 狐塚の項にある北条高時の頃の強盗の話に、「乱波風麿(らっぱかざまろ)」の名がみえる(翻刻:『三浦古文化』第4号、京浜急行電鉄株式会社 三浦古文化研究会、1968年5月、81-118頁の101頁)。成立時期については、高橋恭一「『相州三浦郡神社寺院民家戸数并古城旧跡』について・・・・・三浦古蹟集」(同書77-78頁)を参照。
  4. ^ 表に掲げたほかに1906年の芳賀矢一(校訂)『慶長見聞集』(袖珍名著文庫、冨山房)の翻刻が刊行されているが、抄録であり、7巻「関八州盗人狩の事」が収載されていない。
  5. ^ a b c 下山治久『後北条氏家臣団人名辞典』東京堂出版、2006年9月、523-524頁、ISBN 978-4490106961
  6. ^ a b c 黒田基樹「コラム 風間出羽守のこと」『北条氏年表』高志書院、2013年、136-138頁
  7. ^ 『小田原市史 史料編 中世3 小田原北条氏2』小田原市、1993年
  8. ^ a b 『小田原市史 史料編 中世3 小田原北条氏2』1993年、No.1106、93-94頁
  9. ^ 土井忠生・森田武・長南実『邦訳日葡辞書』岩波書店、1980年、569頁右段
  10. ^ 『邦訳日葡辞書』792頁左段
  11. ^ 『邦訳日葡辞書』98頁左段
  12. ^ 『邦訳日葡辞書』395頁左段
  13. ^ 『小田原市史 史料編 中世3 小田原北条氏2』1993年、No.1106、93頁 注(2)
  14. ^ 『邦訳日葡辞書』162頁左段
  15. ^ a b 『新編武蔵風土記稿』巻之111 多磨郡之23 小宮領 檜原村 上 旧家 百姓(吉野)軍次。蘆田伊人(編)『大日本地誌大系 第10巻 風土記稿6』雄山閣、1931年、81-82頁。
  16. ^ 滝沢博「帰農した地侍たち - 吉野氏と師岡氏」たましん地域文化財団『多摩のあゆみ』第46号、1987年2月、37-50頁
  17. ^ 黒田基樹「総論 北条氏房の研究」黒田基樹(編)『北条氏房』〈論集戦国大名と国衆19〉岩田書院、2015年、19頁
  18. ^ a b 「8 ○向畑村新方三郎之事」『越谷市史 第4巻 史料2』(越谷市、1972年)133頁。茂木和平『埼玉苗字辞典』ウェブ版の「イ」「岩井氏」の項に言及がある。
  19. ^ a b 『埼玉苗字辞典』ウェブ版、ハ~ヒ
  20. ^ 「496 明和4年11月 浜野藤蔵由緒書」(市史編さん室蔵)『越谷市史 第3巻 史料1』越谷市、1973年、495-497頁
  21. ^ 『岩槻市史料 13 民俗調査報告書2』岩槻市市史編さん室、1982年、27,35-36,268頁。
  22. ^ a b 嗣永芳照「岩付の立川氏 その関連史料」36-37頁
  23. ^ a b 『小田原市史 史料編 中世3 小田原北条氏2』1993年、No.1137、128頁
  24. ^ 『邦訳日葡辞書』395頁右段
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  26. ^ 『邦訳日葡辞書』825頁右段
  27. ^ 『邦訳日葡辞書』488頁左段
  28. ^ 『邦訳日葡辞書』716頁左段
  29. ^ 『邦訳日葡辞書』724頁右段
  30. ^ 『新編武蔵風土記稿』 巻之148 足立郡之14 鴻巣領 鴻巣宿 旧家(小池)三太夫。蘆田伊人(編)『大日本地誌大系 第12巻 風土記稿8』雄山閣、1932年、5-6頁。
  31. ^ 『岩槻市史 古代・中世史料編I 古文書史料(下)』岩槻市役所、1983年、182頁、No.477
  32. ^ 鴻巣市市史編さん調査会『鴻巣市史 資料編2 古代・中世』埼玉県鴻巣市、1991年、508-509頁、No.353
  33. ^ 523頁
  34. ^ 黒田基樹(編)『北条氏年表』高志書院、2013年、137頁
  35. ^ 巻203 埼玉郡14 向川辺領 砂原村、巻203 埼玉郡 5 越ヶ谷領 砂原村。ほかに、巻23 葛飾郡 4 西葛西領 本田筋にも「砂原村」がある。
  36. ^ 近藤瓶城(校訂)「関八州古戦録」近藤瓶城(編)『改定 史籍集覧 第五冊』近藤出版部、1900年(1925年再版)、187-188頁
  37. ^ 中丸和伯(校注)『関八州古戦録』〈第2期戦国史料叢書15〉人物往来社、1967年、262-263頁
  38. ^ 群馬県令写、請求番号4141.30-1、巻14、コマ43-「多賀谷政経湯田城を乗取事」
  39. ^ 『関東古戦録』昌平坂学問所旧蔵本、請求番号168-0347、第5冊、コマ18- 巻第10 「多賀谷政経乗捕湯田砦事」
  40. ^ 『水海道市史 上巻 第三編』1983年、289-291頁
  41. ^ 水海道市 前掲書 346頁
  42. ^ 古澤一巳「多賀谷氏家伝の伝来と異同」茨城地方史研究会『茨城史林』第38号(筑波書林、2014年6月、25-53頁)32頁
  43. ^ 「多賀谷家譜」『下妻市史料 古代・中世編』1996年、271-281頁。元禄家伝文書の『多賀谷氏由緒書』には多賀谷氏の系図と家譜が含まれており、『下妻市史料』や『関城町史 史料編Ⅲ 中世関係史料』(1985年、675-685頁)は、このうちの家譜を「多賀谷家譜」と呼んでいるが、本文中の呼称は古澤前掲書27頁に準じて『多賀谷氏由緒書』とした。
  44. ^ 茨城県立歴史館、静嘉堂文庫蔵色川三中旧蔵書No.191
  45. ^ 『結城市史 第1巻 古代中世史料編』1977年、714-722頁(東京大学史料編纂所架蔵本)
  46. ^ 『多賀谷記』静嘉堂文庫本(茨城県立歴史館、静嘉堂文庫蔵色川三中旧蔵書No.160)
  47. ^ 国立公文書館蔵本、請求番号155-0263
  48. ^ 典拠については注に「南軍(北条軍)退去普門寺過去帳亦有之」とある。
  49. ^ a b 『小田原市史 史料編 中世3 小田原北条氏2』1993年、No.1239、217-218頁
  50. ^ 『邦訳日葡辞書』121頁左段
  51. ^ 『邦訳日葡辞書』73頁左段
  52. ^ 『邦訳日葡辞書』124頁左段
  53. ^ 『邦訳日葡辞書』393頁右段
  54. ^ 『邦訳日葡辞書』190頁右段
  55. ^ 『邦訳日葡辞書』511頁右段
  56. ^ 『邦訳日葡辞書』306頁右段
  57. ^ 『小田原市史 史料編 中世3 小田原北条氏2』1993年、No.1239、218頁 注(2)
  58. ^ 『岩槻市史 古代・中世史料編I 古文書史料(下)』1983年、No.475,481
  59. ^ 『新編武蔵風土記稿』巻203 崎玉郡 5 岩槻領 忍間村附持添新田
  60. ^ 前掲書959頁
  61. ^ 『越谷市史 第3巻 史料1』越谷市、1973年、962-967頁
  62. ^ 大竹自治会、1997年、30-32頁
  63. ^ 「497 天明7年12月 恩間渡辺氏家譜」『越谷市史 第3巻 史料1』962-963頁
  64. ^ a b 『小田原市史 史料編 中世3 小田原北条氏2』1993年、No.2245、1082-1083頁
  65. ^ 『邦訳日葡辞書』84頁右段
  66. ^ 『邦訳日葡辞書』92頁右段
  67. ^ 『邦訳日葡辞書』784頁右段
  68. ^ 『邦訳日葡辞書』510頁右段
  69. ^ 『邦訳日葡辞書』493頁左段
  70. ^ 『邦訳日葡辞書』39頁左段
  71. ^ 『邦訳日葡辞書』751頁左段
  72. ^ 『邦訳日葡辞書』96頁左段
  73. ^ 『邦訳日葡辞書』78頁右段
  74. ^ 『邦訳日葡辞書』72頁右段
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  76. ^ 『邦訳日葡辞書』697頁右段
  77. ^ 『邦訳日葡辞書』161頁左段
  78. ^ 『邦訳日葡辞書』682頁左段
  79. ^ 10巻本『北条記』巻8「若御子対陣之事」(国立公文書館蔵本・昌平坂学問所旧蔵本 第3冊 コマ67)
  80. ^ a b 『小田原市史 史料編 中世3 小田原北条氏2』1993年、416頁、No.1464
  81. ^ 『邦訳日葡辞書』131頁右段
  82. ^ 『邦訳日葡辞書』135頁左段
  83. ^ 『邦訳日葡辞書』721頁左段
  84. ^ ☆出典確認中
  85. ^ 『邦訳日葡辞書』352頁右段
  86. ^ 『邦訳日葡辞書』319頁右段
  87. ^ 『邦訳日葡辞書』317頁左段
  88. ^ 『邦訳日葡辞書』687頁右段
  89. ^ 『邦訳日葡辞書』798頁右段
  90. ^ 『邦訳日葡辞書』215頁右段
  91. ^ a b 茂木和平、2006年、第2巻、カ-シ、2165頁
  92. ^ 岩槻市市史編さん室、1985年
  93. ^ 782頁。下山氏のご教示による。
  94. ^ 『岩槻市史 近世史料編IV 地方史料(下)』1982年、952-1060頁
  95. ^ a b 前掲書958-959頁
  96. ^ 『武蔵国郡村誌 第11巻』埼玉県立図書館、1954年、第11巻 埼玉郡村誌 巻之七 黒谷村、323頁
  97. ^ 前掲書960頁
  98. ^ 『岩槻市史 近世史料編IV 地方史料(下)』976頁
  99. ^ 『岩槻市史 金石史料編Ⅰ 中世史料』(岩槻市、1984年、196頁)には、妙円寺には明応9年(1500年)の板碑があるとされており、同寺の創建は雨宮主水正の時代よりも遡る可能性がある。
  100. ^ 『岩槻市史料 13 民俗調査報告書2』岩槻市市史編さん室、1982年、36-37,252,257-258頁
  101. ^ a b c 『岩槻市史料 13 民俗調査報告書2』岩槻市市史編さん室、1982年、27-28頁
  102. ^ 大河内博「ある豪農の盛衰 - 石川民部の系譜」『大きく砕けよ』1990年、160-161頁
  103. ^ 「松伏町聞き取り調査カード(事件用)」No.1-35・1-146、2001年・2002年
  104. ^ 「万代記録帳」によると、風間出羽守は黒谷の雨宮家の先祖筋であるが、始祖はその子・雨宮主水正とされているため、後北条氏の推定天正10年の発給文書にみえる風間出羽守と同一人物(の子)であったとしても、当時から一貫して黒谷にあったかは不明で、『岩槻市史料 13 民俗調査報告書2』の伝のように別地からの移住の経緯があったとも考えられる。
  105. ^ 第11巻 埼玉郡村誌 巻7 下新井村、339-340頁
  106. ^ 『岩槻市史 民俗史料編』岩槻市市史編さん室、1984年、177頁。『岩槻市史料 13 民俗調査報告書2』(岩槻市史編さん室、1982年)58頁に、「風間用水は、飯塚の金子亀次家の裏、島田タイル屋から入ってきて高曽根に来ているもの」とあり。
  107. ^ 「清水金之亮家文書」『岩槻市史 近世史料編IV 地方史料(上)』岩槻市市史編さん室、1982年、585-595頁
  108. ^ 『岩槻市史 近世史料編IV 地方史料(上)』岩槻市市史編さん室、1982年、591頁
  109. ^ 今井金吾『定本 武江年表 上』筑摩書房、2003年10月。 
  110. ^ 今泉定介編『故実叢書 武家名目抄 職名部 巻6』吉川弘文館、1903年、701-703頁
  111. ^ 花見朔巳「室町時代の解体期と足軽の研究」花見朔巳「室町時代の解体期と足軽の研究」日本歴史地理学会『日本兵制史』日本歴史地理学会、121-240頁
  112. ^ 三田村鳶魚「慶長前後の泥坊」『中央公論』第43巻第2号(通巻481号)1928年2月、説苑8-15頁。三田村の主張はその出典の記述内容と論考の結論が必ずしも結び付いていないと思われるが、戦後の戦後の「風摩忍者」に関する時代考証物において支配的な見方となっている。例示は省略する。
  113. ^ 折口信夫「無頼の徒の芸術」民俗芸術の会『民俗芸術』第1巻第8号、1928年8月、1-14頁。論考のもとは講演での口頭発表で、論拠となる出典への言及が全く示されていないが、安野真幸「『相良氏法度』の研究(二)『スッパ・ラッパ』考」(弘前大学教養部『文化紀要』第40号、1994年9月、9-51頁)や藤木久志『雑兵たちの戦場』(朝日新聞社、1995年、201-261頁)など、近年の雑兵論でも通説と見做されている。
  114. ^ a b 下沢敦「風摩:『北条五代記』「関東の乱波智略の事」について」『共栄学園短期大学研究紀要』2004年、No.20、15-40頁
  115. ^ 平山優『戦国の忍び』角川新書、2020年9月、88頁
  116. ^ 平山優『戦国の忍び』角川新書、2020年9月、94-95頁


「風魔」の続きの解説一覧

風魔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/28 00:59 UTC 版)

軒猿 (漫画)」の記事における「風魔」の解説

北条配下忍びたち。郷土相模愛し、その結束力は非常に強い。それゆえか、徹底した人海戦術繰り出して、敵の消耗を待つ戦法をとる。 風魔小太郎(ふうま こたろう) 風魔一党頭目。氏康のことを「ボス」と呼ぶ南蛮人女性。「風魔の頭は目が光り牙のある巨人」という噂に違わぬ長身である。 道鬼に気づかれずに背後をとるほどの実力者南蛮刀の使い手で、自身剛力合わせれば、木を軽々真っ二つ出来る。また、手の包帯中に鉄拳仕込んでいる。

※この「風魔」の解説は、「軒猿 (漫画)」の解説の一部です。
「風魔」を含む「軒猿 (漫画)」の記事については、「軒猿 (漫画)」の概要を参照ください。


風魔

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SAKON(左近) -戦国風雲録-」の記事における「風魔」の解説

ニビ 長髪に髭を生やした精悍な顔つきの風魔。 アサギ 坊主頭の風魔。瀕死の重傷陥った左近とおふうの避難の刻を稼ぐため、十文字を手に幻霧斎対峙するが、円月斬により斬られる。死の間際六郎幻霧斎刀法伝える。 ヒワ 羅刹猿羅戦った双子の風魔。 ヒワの兄 羅刹猿羅戦った双子の風魔。風魔忍法・双ツ躰猿羅背後を取るが、右腕切り裂かれる。猿羅討ち取ろう飛びかかるが、正面立った幻霧斎円月斬により殺される風斎ふうさい先代風魔小太郎アカネ 右目に眼帯を巻く風魔。紅時之丞秘術操られ師匠風斎へ刀を向けるが、交差直前自力で術を解き風斎殺害するのを防いだ

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風魔(ふうま)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/14 10:26 UTC 版)

楽屋裏」の記事における「風魔(ふうま)」の解説

魔神愛犬オス絵柄ではハスキーっぽいが、実際甲斐犬に近い風貌。人懐っこく元気でやんちゃ。主に各話表紙登場。特に2巻では微笑ましいエピソード描かれているが、その後突然体調崩しその翌日亡くなったcf.ブログ)。

※この「風魔(ふうま)」の解説は、「楽屋裏」の解説の一部です。
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風魔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 17:53 UTC 版)

隠の王」の記事における「風魔」の解説

風魔小太郎首領務め勢力で、「灰衆」とは対立している。山奥に里を持ち幻術隠している。禁術は「転変化」だが、現在は灰衆に盗まれている。

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風魔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 07:20 UTC 版)

夕ばえ作戦」の記事における「風魔」の解説

相模武蔵一円根を下ろした忍者集団江戸開幕の折、土地引き替え幕府旗本召し抱えとの約束反故にされ、嘆願無視されたために幕府恨み江戸近辺騒乱起こしている。 風祭 陽子かざまつり ようこ)/ドラマでは風魔 洋子(ふうま ようこ) 俳優 - 志摩みずえ 郷士である風祭家に養女出された風魔の姫。男勝りな13歳美少女。兄小二郎よりも忍びの才があり、兄も知らぬ内に密かに8門もの大づつを用意させるなど、立て作戦用意周到にして大胆現代捕虜となり茂や妹の陽子と心を通わせるが、たっての頼み返還され、茂との和議説得中に小太郎に斬られる。 風魔 小太郎吉春(ふうま こたろうよしはる俳優 - 誠直也 風魔忍軍頭領三十代半ば最期は500Vもの高圧電流感電させる、茂の忍法エレキしばり」に敗れ絶命した。 風魔 小二郎高秋(ふうま こじろうたかあき) 俳優 - 永井秀和 小太郎の弟。手練れであったが、茂に捕まりふいるむ」の煙で拷問を受ける。 狐狸斎(こりさい) 風魔。小太郎側近である老忍者悪多聞(あくたもん) 風魔。小太郎側近その2摩利支天丸まりしてんまる) 刀を取っては風魔随一中忍炎上した妙院から捕虜にした高尾先生運び出し円融寺守りに就くがモーターバイク駆る明夫達に奪回された。 空蝉の傀儡うつせみのくぐつ)、中田甚兵衛(なかたのじんべえ)、高津片目(たかつのかため)、祐天寺 五郎ゆうてんじ ごろう) 風魔の中忍流れ葉室(ながれのはむろ)、むささび平吉むささびのへいきち)、渡し六蔵(わたしのろくぞう)、猿若太夫さるわかだゆう)、青木 右京(あおき うきょう愛甲五人衆名乗る風魔の援軍代官屋襲撃主力となる。 雪ガ谷の左文字(ゆきがやのさもんじ) 風祭陽子の裏切りを伝えた風魔の下忍。嘘を申したとの冤罪小太郎斬り捨てられる。 王仁王丸(わにおうまる) 風魔に雇われ熊野修験者。鎖付き鉄球振り回すが、礼助に倒され自爆した

※この「風魔」の解説は、「夕ばえ作戦」の解説の一部です。
「風魔」を含む「夕ばえ作戦」の記事については、「夕ばえ作戦」の概要を参照ください。


風魔(ふうま)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 09:39 UTC 版)

ルパン三世 the Last Job」の記事における「風魔(ふうま)」の解説

16世紀戦国時代)の日本において活躍した忍者集団風魔一族はルパンシリーズでしばしば登場する勢力だが、本作の風魔は本作オリジナルのものであり、現在は飛鳥摩耶だけしか残っていないという。本作の風魔は16世紀ローマから日本亡命してきた科学者たちが、同地山賊達と結びつき、その科学力忍術として活躍したものだという。「ふうま」という名前自体が「ローマ」が訛ったものと説明されている。

※この「風魔(ふうま)」の解説は、「ルパン三世 the Last Job」の解説の一部です。
「風魔(ふうま)」を含む「ルパン三世 the Last Job」の記事については、「ルパン三世 the Last Job」の概要を参照ください。

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