太田 (さいたま市)
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■太田 | |
---|---|
![]() 岩槻城城門 | |
北緯35度57分06.01秒 東経139度42分36.24秒 / 北緯35.9516694度 東経139.7100667度 | |
国 |
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都道府県 |
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市町村 |
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区 | 岩槻区 |
人口 | |
• 合計 | 2,238人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
339-0052[2] |
市外局番 | 048[3] |
ナンバープレート | 大宮 |
太田(おおた)は、埼玉県さいたま市岩槻区の町丁および大字。現行行政地名は太田一丁目から太田三丁目および大字太田。町丁は住居表示実施地区[4]。郵便番号は339-0052[2]。
概要
さいたま市岩槻区中部の大宮台地(岩槻支台)上に位置する。東部を元荒川が流れる。元は岩槻城址付近はほとんど大字太田であったが、住居表示による町名変更で取り残された大字太田の一部が南辻付近に残るのみである。
地区内に太田貝塚がある[5]。
歴史
- 1873年(明治6年):岩槻宿(現・大字岩槻)の岩槻城址および士族屋敷部分が分離されて埼玉郡太田町が成立[6]。地名の由来は岩槻城の城主の名前である太田氏による[6]。
- 1874年(明治7年):学蔵寺を仮用して太田学校(現・さいたま市立太田小学校)が開設される[6]。
- 1879年(明治12年)3月17日:郡区町村編制法により成立した南埼玉郡に属す。郡役所は岩槻町に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日:町村制施行に伴い、岩槻町、太田町が合併して新たな岩槻町が成立する。太田町は岩槻町の大字太田となる[6]。
- 1954年(昭和29年)
- 1965年(昭和40年)12月1日:住居表示実施により、一部が宮町一丁目・二丁目[8][9]、本町五丁目の各一部となる。
- 1966年(昭和41年)10月1日:住居表示実施により、一部が本町四丁目・六丁目および仲町一丁目の各一部となる。
- 1988年(昭和63年)10月3日:住居表示実施により、一部から太田一丁目 - 三丁目、本丸一丁目 - 四丁目、城町一丁目・二丁目が成立。また、一部が宮町二丁目に編入される。
- 2005年(平成17年)4月1日 – 岩槻市がさいたま市に編入合併され、さいたま市岩槻区の町丁および大字となる[10]。
世帯数と人口
2017年(平成29年)10月1日時点の世帯数と人口は、以下のとおりである[1]。
町丁・大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
太田一丁目 | 422世帯 | 1,070人 |
太田二丁目 | 426世帯 | 1,074人 |
太田三丁目 | 44世帯 | 94人 |
大字太田 | 0世帯 | 0人 |
計 | 892世帯 | 2,238人 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[11]。なお、大字太田の学区は示されていない。
丁目 | 区域 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
太田一丁目 | 全域 | さいたま市立太田小学校 | さいたま市立岩槻中学校 |
太田二丁目 | 全域 | ||
太田三丁目 | 全域 |
寺社
施設
- 岩槻城址公園
- 市民会館いわつき
- さいたま市営岩槻球場
- 埼玉県立岩槻商業高等学校
- 人間総合科学大学岩槻キャンパス(一部) - 大字太田に立地
- たちばな保育園
交通
鉄道
地内に鉄道路線は通っていない。最寄り駅は地点によって異なり、東武野田線(東武アーバンパークライン)の岩槻駅、または同東岩槻駅である。
道路
脚注
- ^ a b “さいたま市の人口・世帯(時系列結果)”. さいたま市 (2017年10月5日). 2017年10月5日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年10月5日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ “さいたま市住居表示実施地区” (PDF). 埼玉県さいたま市役所公式ホームページ. 2024年2月9日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』947頁。
- ^ a b c d 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』166頁。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』1429頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』950頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』834頁。
- ^ “合併後の住所の移り変わり”. 埼玉県さいたま市役所公式ホームページ. 2024年2月9日閲覧。
- ^ “さいたま市立小・中学校通学区域一覧”. さいたま市 (2017年8月23日). 2017年9月20日閲覧。
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
関連項目
外部リンク
「太田 (さいたま市)」の例文・使い方・用例・文例
- 株式会社太田金属工業の海外課の係長の中島と申します。
- 当日の見物は原田対太田の試合であった.
- 太田市という市
- 常陸太田市という市
- 先月,太田房(ふさ)江(え)大阪府知事が「道頓堀川をきれいにしましょう。」と話した。
- 山形県の高校生,太田渉(しょう)子(こ)選手(16)は銅メダルを獲得した。
- 太田雄(ゆう)貴(き)選手
- フェンシングで太田雄貴選手が銀メダルを獲得した。
- 太田選手は,アテネの銀メダリストであるイタリアのサルバトーレ・サンツォ選手を15-14で破り,決勝へ進んだ。
- 太田選手はドイツのベンヤミン・クライブリンク選手に阻まれ,2位に終わった。
- 太田選手は,自身の財政状況のため,2012年の五輪のことはわからないと話している。
- 現在,太田選手は無職で,記者には「僕が職を探していることを読者に伝えてください。」と話した。
- それらの作者の1人は12歳の中学生,太田一(かず)毅(き)さんだった。
- 全線再開の日に,北リアス線の宮(みや)古(こ)駅で行われた式典に太田昭(あき)宏(ひろ)国土交通大臣が出席した。
- 太田氏は「三陸鉄道はこの地域の復興の原動力となる。」と述べた。
- それはドイツに留学中の若い日本人官(かん)吏(り)である太田豊(とよ)太(た)郎(ろう)と,エリスという名のドイツ人女性の関係についての物語だ。
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