松田盛秀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/25 06:13 UTC 版)
松田 盛秀(まつだ もりひで)は、戦国時代の武士。後北条氏の家臣。北条早雲(伊勢盛時)・氏綱・氏康の三代に仕えた。
- ^ [1]松田家の歴史 P.55。
- ^ 備前浦上の一乱により弟康定と共に相模に来て頼秀の養子となった説がある[2]松田家の歴史 P.55。
- ^ 六郎左衛門、筑前守[3]。
- ^ 一部の系図には盛秀の次男・康定(康光)と記されている[4]。
- ^ [5]
- ^ 一部の系図には康隆[6]
- ^ 黒田基樹『戦国北条家一族事典』(戎光祥出版、2018年) ISBN 978-4-86403-289-6 P147-152.
- ^ [7]松田家の歴史 P.57。
- ^ 『鶴岡八幡宮社参記』。松田盛秀・憲秀父子の次に遠山綱景・笠原綱信・清水康英・石巻家貞が挨拶を述べている。(つまり彼らより松田親子の立場が上である事を物語っている。
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