笠原綱信
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笠原 綱信(かさはら つなのぶ、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。後北条氏の家臣。通称は玄蕃助で、武家官位としての美作守も称した。
生涯
笠原越前守家の笠原信為・康勝親子の縁戚とも、信濃の国人である笠原清繁の一門とも言われるが確かな身元は不明。信為は北条早雲(伊勢新九郎盛時/宗瑞)に従って関東に入った笠原氏で、綱信は伊豆の国人の笠原氏という説もある。笠原氏は伊豆衆21家の一家で、中でも綱信は伊豆衆筆頭と言われる。生没年は不詳だが、名に「綱」が入っていることから北条氏綱の代にはすでに有力家臣として活躍していたと考えられる。氏康の代には評定衆・北条五宿老に名を連ねており、重臣だったことがうかがえる。
北条五色備えの一つである白備えを率いていたと伝わる[要出典]が、綱信に関する資料は少なく、実在していたこと以外は不明な点が多い。
関連項目
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