太田景資とは? わかりやすく解説

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太田景資

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/30 15:54 UTC 版)

太田 景資(おおた かげすけ、?-永禄6年(1563年2月?)は、戦国時代後北条氏家臣。江戸太田家太田資高の庶長子で、太田康資の異母兄。源七郎・左衛門尉。

異母弟の康資が北条氏綱の外孫であったため、江戸太田家の家督を継承し、景資がこれを補佐した。『小田原衆所領役帳』には武蔵国目黒本村などに36貫文余りが所領として挙げられ、これとは別に康資からその所領の一部39貫文余りが与えられている。

永禄年間、康資が里見氏に通じて離反の動きを見せたため、後北条氏は代わりに景資を江戸太田氏の当主にしたとされる。だが、永禄6年の武蔵松山城の戦いで戦死したと伝えられている。

参考文献

  • 下山治久『後北条氏家臣団人名辞典』(東京堂出版、2006年) ISBN 978-4-490-10696-1
  • 戦国人名辞典編集委員会 編『戦国人名辞典』(吉川弘文館、2006年) ISBN 978-4-642-01348-2(執筆:黒田基樹)



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