富永政家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/15 21:53 UTC 版)
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時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
生誕 | 1554年? |
死没 | 1607年7月12日 |
別名 | 亀千代?、孫四郎、山城守 |
戒名 | 常仙院殿日円大居士 |
主君 | 北条氏政 → 北条氏直 |
氏族 | 富永氏 |
父母 | 富永直勝 |
子 | 富永直則 |
富永 政家(とみなが まさいえ)は、戦国時代の武将。後北条氏の家臣。江戸城将・江戸衆寄親を務めた。
生涯
天文23年(1554年)後北条氏家臣の富永直勝の嫡子として誕生したとされる[1]。永禄7年(1564年)の国府台合戦で直勝が戦死したため、家督を継いだ。江戸城と栗橋城の城代を務め、伊豆の西土肥 7 ヶ村のほか妻良・加納両村、武蔵牛島村、上総勝村など1383貫を領し、軍事中心の役割を担ったとされる[1][2]。
永禄12年(1569年)に当時在番していた岩付城から直接、滝山城の守備を命じられている。年代は不明だが、菩提寺として伊豆土肥に清雲寺を創建した[1][2]。
天正18年(1590年)の小田原合戦では韮山城に加勢して、籠城した。戦後は流浪の身になり、奥州へと落ち延びたとされる。慶長12年(1607年)7月12日死去。嫡子の富永直則は徳川家康に仕え、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに従軍した[1][2]。
注釈
参考文献
関連項目
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