治水の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 07:19 UTC 版)
江戸時代に、川下の吉田(現在の豊橋市中心部)を洪水から守るため、その上流に鎧堤と呼ばれる不連続な堤防が建設された。昭和に入り、治水のために豊川放水路事業が開始され1965年に完成。放水路の完成に伴い右岸の不連続な堤防は締め切られて連続した堤防になった。現在では下流の水不足解消のため、設楽ダムが計画にある。
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治水の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 07:10 UTC 版)
山原川流域とほぼ重なる飯田地区(現在の飯田中学区)は、昔から水不足に悩まされ、水田への引水でしばしば水争いが起こっていた。 この対策として、大正5年に庵原川から取水し、午王堂川を経由して高橋・八坂地区を灌漑する「金谷用水」が整備された。現在の午王堂川は、東名高速道路清水インターチェンジの建設もあり一部の河道は近代化されたが、その他の部分は金谷用水の名残が見られる。 また大正6年には、山原貯水池が造成された。現在では、有効貯水量29,300m3、堤長89m、受益面積21haとなっている。宅地開発が進んだ近年、高橋二・三丁目・飯田町地区では大雨による浸水被害が顕著である。このため、特定都市河川浸水被害対策法の適用を受けた浸水対策事業として、2019年から2021年度にかけ、同地区の流末水路にあたる捨川と山原川の合流地点に、市内最大規模となる「高橋雨水ポンプ場」を建設中である。
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治水の歴史
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源流部の山地は糸魚川・静岡構造線沿いの断層破砕帯で崩壊しやすい土質であり、大雨時には多くの上砂が送出され、合流先の巴川の流下をも妨げる傾向がある。 度重なる水害を軽減するため、1907年(明治40年)より5年の歳月をかけ、長尾川の合流点を巴川と平行して下流に伸ばし、水はけを良くする大改修が行われた。 肝冷しの滝(静岡市葵区平山) 長尾川上流(静岡市葵区長尾) 長尾川中流(静岡市葵区瀬名) 長尾川下流(静岡市葵区川合) 弁天池(静岡市葵区瀬名) 川合水源之神池の碑(静岡市葵区川合) 長尾川治水工事記念碑(静岡市葵区瀬名)
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