洪水と治水の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/18 09:38 UTC 版)
「大柏川第一調節池緑地」の記事における「洪水と治水の歴史」の解説
永らく広大なこの湿地の葦原と田園は大柏川が氾濫し冠水の被害はあったものの貯水の役目も果たした。時代を経て戦中、戦後からこの地域は次第に埋め立てられ2009年の時点では殆ど水田残っておらず、多くは畑やのどかな雰囲気も残す市街地となっている。最後の大規模な埋め立ては大野町の一部と南大野の全域が武蔵野線の1978年(昭和53年)10月の新松戸 - 西船橋間の延伸を機に埋め終え街としての形成が始まった。この武蔵野線の延伸部には 切通しが多いが、切り崩し排出された土砂は武蔵野線高架の大野町区域の埋め立てにも使われた。 最後の大規模埋め立てによって地面の標高は高くなり大柏川が増水すると形成されはじめた市街地の道路の冠水や床上浸水を起こし大柏川の拡幅事業を終える1996年(平成8年)頃まで何回か冠水や浸水に見舞われた。一例として1993年(平成5年)8月26日-27日台風11号では浸水・冠水面積400ha、浸水家屋2,392戸の被害を記録した。 千葉県真間川改修事務所によって約26年の期間を経て治水対策が行われ、調節池として開設に至った。事業の規模に比較しその期間が長年に亘ったのは予算が毎年少しずつ事業に配分されたためといわれる。 1979年(昭和54年) - 1996年(平成8年): 治水緑地事業 1989年(平成元年) - 1996年(平成8年):大柏川をほぼ2倍の約14mに拡幅化 1995年(平成7年) - 2004年(平成16年):総合治水事業 1995年(平成7年) - 2000年(平成12年):床上浸水対策事業、池周囲一部の盛り土 2001年(平成13年) - 2005年(平成17年):調節池の本格的な掘削(掘り下げ)工事 2007年(平成19年)6月30日:開園 大柏川の拡幅事業は後手にまわり南大野地区から真間川への合流地点の付近に至るまでしばしば冠水や床下浸水の発生を招いたが、川の拡幅後は浸水や氾濫の事態はなくなっている。機会は多くないが調整池として開園後も流域の豪雨によって堤防から越水し調整池本来の機能を果たしている。
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