洪水と被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 07:15 UTC 版)
「2010年ラダック豪雨」の記事における「洪水と被害」の解説
大雨は、2010年8月6日午前0時 (IST) の真夜中に30分程度降った。この雨は局所的なもので、インダス川と平行な長さ6キロメートル・幅数キロメートルの範囲に集中した。この中にはレーやその他複数の集落が含まれていた。この地域では、わずか30分に75ミリメートル程度と見積もられる雨が降った。これは、この地域の一年間の雨量にも匹敵する量であった。さらに局所的に250ミリメートルにもなる雨も降ったとされる。 一方で、この範囲外ではそれほど雨は降らなかった。レー飛行場の観測所では、この夜の総雨量はわずか12.8ミリメートルしか観測しなかった。 雨は夜に降ったことから、住民や観光客らは驚きを隠せなかった。レーでは、病院、バスターミナル、ラジオの送信所、電話交換機、携帯電話の電波塔など、多くの建物が破壊された。バーラト・サンチャール・ニガム社(英語版)の通信網は完全に破壊されたが、インド軍の復旧活動によって復旧した。バス乗り場も壊滅的な被害を受け、1.5キロメートル以上泥で押し流されたバス車体もあった。レー飛行場にも損傷が見られたが、翌日から救援飛行が行えるようにするため、速やかに修復された。町郊外にあるチョグラムサル村は特にひどい被害を受けた。 近隣の谷でも壊滅的な被害が発生し、多数の死傷者を出してしまった。この地域は降水帯の真下にあり、多数の小さな村が点在していた。ただし、災害の種類はレーであったような洪水とは異なり、岸壁からの土石流であった。特にひどい被害が出た村として、Sobu, Phyang, Nimu, Nyeh, Basgoがあり、合わせて71村1500棟の家屋が被害を受けたとされる。 レー町内に滞在していた1000人の外国人を含む、3000人程度の観光客全員が無事であった、と地元当局は発表した。一方、報じられるところによれば、町外で6人の外国人観光客が死亡した。また、行政文書によると、少なくとも255人の地元住民が死亡し、さらに29人が行方不明になっている。実際の犠牲者は、かなり高くなる可能性が指摘されており、600人以上ではないかとも言われている。
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