治水ダムから多目的ダムへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/05 09:47 UTC 版)
「治水ダム」の記事における「治水ダムから多目的ダムへ」の解説
1967年(昭和42年)の補助治水ダム事業の導入以降、多くの地方自治体で治水ダムの建設が盛んとなった。だがこの時期は人口の増加が著しい時期でもあり、上水道や工業用水道の需要が増加していた。また、オイルショック以降、国産エネルギー需給体制の強化が叫ばれ、一般水力発電事業の見直しも図られるようになった。 これを受け、当初は治水ダムとして計画されていたダムが多目的ダムに計画変更される例が続出した。例えば宮城県の鳴瀬川本流に建設が進められていた漆沢ダムであるが、当初の1970年(昭和45年)には洪水調節専用であったものが、大崎市(当時は古川市)など鳴瀬川下流部の宅地化進行や工業団地進出によって水需要が逼迫(ひっぱく)したことにより上水道と工業用水道の目的が加わり、さらに電源開発(発電所)の緊急性が高まったことで水力発電も目的に加わり、1980年(昭和55年)には五つの目的を持つ多目的ダムに事業は大幅に拡大した。 また治水ダムの初期例で流水型ダムでもあった茨城県の藤井川ダムは、水戸市の水道需要拡大と沿岸農地の耕地面積拡大で水需要が逼迫し、ダムを管理する茨城県は1977年(昭和52年)よりダム再開発事業として多目的ダム化を行い、流水型ダムにゲートを設置して貯水を行うこととした。こうした治水ダムの多目的ダム化は全国各地で見られ、特に下流地域への上水道供給目的を付加する例が多かった。1980年代後半以降は、ダム管理に必要となる電力をまかなえる程度の小規模発電所やマイクロ水力発電相当の水力発電所が設置される例もみられた。
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