本明川とは? わかりやすく解説

本明川

面積本川長ともに一級水系最小河川
本明川は、その源を長崎県諫早市五家原岳標高1,057m)に発し急峻な山麓南下した後、諫早平野貫流し福田川半造川等を合わせて有明海に注ぐ、幹川流路延長21km、流域面積87km2一級河川である。

諫早市街部を流れ有明海へ注がれる本明川
諫早市街部を流れ有明海注がれる本明川

河川概要
水系本明川水系
河川名本明川
幹川流路延長21km
流域面積87km2
流域内人54,583人
流域関係都県長崎県

本明川流域図
○拡大図
1.本明川の歴史
"「そのがほしい」。その願いのために諫早藩士青木惣右衛門研究研究重ね、「江戸ハイテク」ともいうべき先進技術の「逆サイホンの原理」を利用して、『底井』を作りました。"

本明川における災害の歴史先人の知恵

1.本明川における災害の歴史
五百羅漢像
五百羅漢像
本明川の歴史は、そのまま水害の歴史といってもいいほどです。例えば、江戸時代には記録に残る洪水が9回も起こってます。なかでも被害が最も大きかったのが元禄12年(1699)に起きた大洪水です。この年8月11日から降り出した大暴風となり、13日には本明川があふれて下流一帯田畑人家などを次々と流し去りました。このときの洪水溺れ死んだ人は487名にもなったといいます。さらに不運続き翌年13年には、逆に日照り続いて干ばつとなり、田畑作物がほとんど穫れずに、相次ぐ天災人々の生活はますます苦しくなりました
2年もつづく災害心を痛めた領主諫早茂晴(いさはやしげはる)今後天災静めるため、本明川の源である富川こもって厄払い祈願と、水害亡くなった487名の冥福祈りました。そして、災害除難の悲願果たそうと、2年にもおよぶ作業の末に五百羅漢像(ごひゃくらかんぞう)完成させましたその後長く天災から逃れ諫早領地豊かな実り恵まれました

2.江戸時代ハイテク技術
底井樋廻水
底井
諫早市街の東に広がる諫早平野は、そのほとんどが干拓地です。干拓地は昔から用水問題があり、なかでも小野地区は特に水不足がひどい地区でした。もともと少ないうえに干ばつ見舞われることの多かった小野(おの)地区人々にとって、は命そのものといっていいものでした。この問題解消するために諫早藩士(いさはやはんし)青木惣右衛門(あおきやすえもん)研究研究重ね逆サイフォンという当時ハイテクともいうべき先進技術用いて文化10年1813)に半造川に「底井(そこいびかいすい)」を設置しました
底井は2箇所設置されましたが、驚くべき事に、およそ190年過ぎた今なお諫早平野水田潤し地域農業支えてます。
「そのがほしい。」ただその願いのために苦心した青木惣右衛門たちの想いが、改め思い起こされます。
2.地域の中の本明川
"本明川上流部には、景勝地として富川渓谷があり、自然探勝や行楽に訪れ人々賑わいをみせており、市街部下流部については沿川住民にとって散策の場であるとともに水遊び釣りイベント利用されています。"

地域根強い本明川

1.本明川における河川利用
本明川の中流部は、露出した岩盤や礫がせせらぎ創出し、また支川福田川合流点より下流部広々とした田園中にあり、広い高水敷有してます。
これらの区域は沿川住民にとって散策の場、憩いの場安らぎの場であるとともに水遊び釣り各種イベント諫早川まつりつかみどり大会等)に利用されています。
魚のつかみどり大会 諫早川まつり
つかみどり大会諫早川まつり


2.地域住民との連携
昔から諫早市民の川に対す思い川まつり等に代表されるように大きく、かつ市街部における貴重なと緑のオープンスペースとしてニーズの高い状況あります
このため平成7年より「本明川オピニオン懇談会」(地域住民有志20名から構成)が活動しており、現在、今後の川のあり方等について地域住民行政との積極的な連携深めてます。
また、ボランティア長崎in本明川」と称して河川環境美化活動維持管理しながら環境教育地域活性化につながる地域住民活動を、行政としても支援してます。
ボランティア長崎in本明川 オピニオン懇談会
ボランティア長崎in本明川オピニオン懇談会
3.本明川の自然環境
"富川渓谷流れる本明川の上区間は、自然が多く残っており、川の中は巨礫巨石あります市街地区間になるにつれて露岩箇所がみられ、瀬や淵も分布してます。下流区間は諫干締切により汽水域から淡水域になったため、自然環境大きな変化見せてます。"


本明川は地形勾配川底材料岩盤・石・砂や泥)の違いにより、上流域中流域下流域分けることができます。さらに各流域それぞれ二つ区域分ける事ができ、これらの環境区分物理的な特徴に応じて様々な生き物生息生育してます。

1.上流域
富川渓谷(河口から16km付近)の様子
富川渓谷(河口から16km付近)の様子
本明川最上流部はスギ・ヒノキの植林中心とする渓流部で、その一部区間では川底に人の頭より大きな巨石見られ水深浅く流れ速い瀬や水深深く流れが遅い淵が連続してます。また、所々形成され早瀬浮き石状態の礫間には有明海流入河川特徴的なアリアケギバチがみられ、流れ緩やかになり、河床ツルヨシ等が分布する開けた所では、ゲンジボタル生息してます。

2.中流域
市街部(河口から6km付近)の様子
市街部(河口から6km付近)の様子
諫早市街地流れ中流域は、水辺には高水敷があり、広い高水敷定期的に除草が行われ、広場駐車場として利用されています。また、水辺魚釣り散策にも訪れる人が多く市街地における貴重な親水空間となってます。 除草管理が行われている高水敷は、草丈の低い植物広く生育しバッタ等の草地性の昆虫類スズメ等の鳥類が、水域にはオイカワ等やそれらをエサ 市街部(河口から6km付近)の様子 とするカワセミ生息してます。

3.下流域
河口域(河口から1km付近)の様子
河口域(河口から1km付近)の様子
古くから干拓進められ福田川合流点以降は、流れ穏やかになり川幅広くなると共に、かつて影響受けた有明海潮流による「ガタ土」と呼ばれる微細粘土堆積してます。長田川合流点付近中心に広がる広大な高水敷には、在来植物であるヨシオギ繁茂し流れ穏やかな水域にはメダカギンブナ多くヨシ原にはオオヨシキリカワセミ等、鳥類繁殖地採餌場等に利用され、豊 河口域(河口から1km付近)の様子 かな自然環境形成されています。
4.本明川の主な災害


発生発生原因被災市町村被害状況
昭和32年7月梅雨前線諫早市死者494名
行方不明45
負傷者1476名
家屋全壊流失727
家屋半壊575
一部破損919
床上浸水2734戸
床下浸水675戸
昭和57年7月梅雨前線諫早市死者3名
負傷者1名
家屋全壊2戸
家屋半壊11
床上浸水951
床下浸水1457戸
平成11年7月梅雨前線諫早市家屋全壊1戸
家屋半壊1戸
床上浸水240
床下浸水471

(注:この情報2008年2月現在のものです)

本明川

読み方:ホンミョウガワ(honmyougawa)

所在 新潟県

水系 信濃川水系

等級 1級


本明川

読み方:ホンミョウガワ(honmyougawa)

所在 島根県

水系 敬川水系

等級 2級


本明川

読み方:ホンミョウガワ(honmyougawa)

所在 長崎県

水系 本明川水系

等級 1級


本明川

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/21 03:33 UTC 版)

本明川
諫早市・四面橋(国道207号)付近
水系 一級水系 本明川
種別 一級河川
延長 28.0 km
平均流量 1.64 m3/s
(裏山観測所 2000年)
流域面積 249.0 km2
水源 五家原岳南西斜面
水源の標高 796 m
河口・合流先 諫早湾干拓調整池北部排水門
流域 日本
長崎県諫早市雲仙市

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本明川のシンボルマーク
本明川の飛び石
かつて本明川に架かっていた諫早眼鏡橋。現在は諫早市高城町の諫早公園内に移設されている。

本明川(ほんみょうがわ)は、長崎県多良山系南斜面から諫早市街中心部を流れ、諫早湾有明海)に注ぐ川である。

長崎県内では唯一の一級河川である。2008年4月25日より諫早湾干拓調整池調整池への流入河川も「本明川水系」に組み込まれ[1]、流路延長・流域面積とも長崎県第1位となった。流域の大部分は諫早市に属するが、調整池の南部は雲仙市にも属する。上流部に本明川ダムが建設中である。

名称

昔は「大川」(うーかわ)と称されていたが、享和3年(1803年)ごろから「本明川」と呼ばれるようになった。ただし、「本明川」の名称の由来については明確なものが残されていない[2]

地理

多良山系の南にある五家原岳(標高1,058m)南西麓を水源とする。上流部は山麓に深い谷を刻み、急斜面を南西に流れ下る。南へ向きを変えると斜面は緩やかになり、富川・湯野尾川・目代川などの支流が次々と合流する。

諫早市街地では天満町・宇都町で東に向きを変え、諫早市中心部を緩やかに流れる。市街地を抜けた河口近くの干拓地では福田川・半造川・長田川などが合流し、諫早湾干拓調整池に注ぐ。

産業・自然

中・下流域の諫早平野、および諫早湾奥部の干潟を干拓した干拓地はおもに水に用いられ、長崎県有数の穀倉地帯となっている。川・用水路・河口干潟にはさまざまな生物が見られるが、河口干潟の生物相は諫早湾干拓事業により大きく変化した。流域の産業や生物については、干拓の里資料館・干拓の里水族館・諫早市郷土館・森山郷土資料館などで展示が行われている。

上流域の急流に対して中・下流域は流れが緩やかになり、多くの支流が狭い地域に集まるため排水不良になりやすい。江戸期・寛永年間からしばしば洪水の記録があり、元禄12年(1699年)の元禄水害では死者487人を出し、現在の宇都町・天満町付近にあった諫早の集落が現在の位置へ移動することになった。また、富川渓谷の五百羅漢像は死者供養と災害防止祈願のために伊佐早茂晴の命により宝永6年(1706年)に作られたものである。

昭和32年(1957年7月25日の「諫早豪雨」でも甚大な被害を出した。諫早豪雨以降は川幅拡張・眼鏡橋移設・橋の桁上げなど河川改修が相次いで行われた。また、毎年7月25日には死者の慰霊のための川まつりが開催されている。

水系の変更

かつて本明川は急勾配のまま諫早湾へ注いでいて、河口部で合流する長田川や半造川は独立した河川だったと考えられている。急流や諫早湾の潮汐が運ぶ堆積物によって河口干潟の陸地化が進み、さらに人の手によって干拓が進められた結果、隣接した川が支流になった。

さらに平成元年(1989年)から国営諫早湾干拓事業が進められ、諫早湾奥部が締め切られて調整池となった。これに伴い平成20年(2008年)から調整池とその流入河川(諫早市高来森山地区および雲仙市愛野吾妻地区)も「本明川水系」となった。本明川の河口は干拓調整池の北部排水門とされ、流路延長は21kmから28kmへ、流域面積は87km2から249km2へ拡大された。

本明川ダム

本明川の上流部に本明川ダムが建設中である。位置は、北緯32度54分37.70秒 東経130度01分32.18秒 / 北緯32.9104722度 東経130.0256056度 / 32.9104722; 130.0256056である。

詳細は「本明川ダム」を参照。

支流

  • 本明川 - 本流
  • 半造川(埋津川)
    • 川床川
    • 小ヶ倉川 - 小ヶ倉ダム
  • 福田川
  • 倉屋敷川
  • 新倉屋敷川
  • 夫婦木川
  • 中山西川
  • 長田川
  • 八天川
  • 目代川
  • 東河内川
  • 西谷川
  • 湯野尾川
  • 琴川
  • 谷川
  • 富川 - 富川渓谷

(平成20年に編入された川)

  • 段堂川
  • 深海川(ふかのみがわ)
    • 剃刀峰川(そりみねがわ)
  • 小江川
  • 田島川
  • 湯江川
  • 境川 - ツクシシャクナゲ群落・轟の滝
  • 仁反田川
    • 長走川(ながはしがわ)
  • 有明川 - 杉谷溜池
    • 今木場川
    • 千鳥川 - 重尾溜池
  • 山田川
    • 長谷川(ながたにがわ)
    • 黒仁田川
  • 田川原川(たごううらがわ)
  • 土井川(大木場川)

参考文献

脚注

関連項目




固有名詞の分類


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