水害の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 06:12 UTC 版)
狭隘な河川のため、下流部の龍ケ崎市・取手市(旧・藤代町)周辺において幾度となく堤防からの溢水、堤防の破堤を繰り返してきた歴史がある。 1935年(昭和10年)9月24日〜26日 1938年(昭和13年)6月28日 1941年(昭和16年)7月10日 - 高須村高須地先で左岸の堤防が決壊。 1950年(昭和25年)8月2日 - 高須村神浦地先で堤防が決壊。同村のほか相馬町、小文間村、山王村、寺原村、六郷村が水没した。死傷者は出なかったものの床上浸水した家屋だけでも1880戸に及び、被災者25000人を出した。 1958年(昭和33年)9月27日 1966年(昭和41年)6月26日 1981年(昭和56年)8月24日 1986年(昭和61年)8月4日 2007年(平成20年)10月3日 特に、1986年(昭和61年)の台風10号による豪雨では、堤防が決壊し、大きな洪水被害を出した。この洪水被害を契機に、筑西市の大谷川との合流部に母子島遊水池が建設された。
※この「水害の歴史」の解説は、「小貝川」の解説の一部です。
「水害の歴史」を含む「小貝川」の記事については、「小貝川」の概要を参照ください。
水害の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 16:59 UTC 版)
庄内川流域では、昔から洪水により浸水被害を被ってきた。 1779年(安永8年)8月 - 新川開削と洗堰築造のきっかけとなる大洪水が発生。 1839年(天保10年)8月 - 高蔵寺(春日井市)地内の堤防決壊。 1896年(明治29年)9月 - 高蔵寺、勝川(春日井市)、瀬古(名古屋市守山区)地内で破堤。赤痢が大流行。 1906年(明治37年)7月 - 志段味(名古屋市守山区)、大留(春日井市)、桜佐(春日井市)、勝川、瀬古地内で破堤。 1911年(明治44年)9月 - 高蔵寺地内で破堤。 1934年(昭和9年)9月 - 室戸台風。 1957年(昭和32年)9月 - 秋雨前線の活動により多治見市中心部のほとんどの家屋が浸水。被災家屋22,428戸(愛知県)、4,540戸(岐阜県)。 1959年(昭和34年)9月 - 伊勢湾台風。庄内川・新川の13ヶ所が破堤。被災家屋140,569戸(愛知県)、6,227世帯(岐阜県)。 1971年(昭和46年)9月 - 台風29号により、庄内川上流圏域で河川が氾濫。床上浸水19棟、床下浸水753棟。 1972年(昭和47年)6月 - 梅雨前線の活動により、上流域での被害甚大。死者6名。被災家屋832棟(愛知県)、1,515棟(岐阜県)。 1975年(昭和50年)7月 - 梅雨前線の活動により、被災家屋10,315棟(愛知県)、107棟(岐阜県)。 1976年(昭和51年)9月 - 台風17号により、床上浸水1,327棟。被災家屋8,713棟(愛知県)。 1983年(昭和58年)9月 - 台風10号と秋雨前線の活動により、出水。被災家屋7,871棟(愛知県)、164棟(岐阜県)。 1988年(昭和63年)9月 - 熱帯低気圧と秋雨前線の活動により、上流域で浸水被害、洗堰からも越流。被災家屋1,896棟(愛知県)、94棟(岐阜県)。 1989年(平成元年)9月 - 台風22号により、上流域で浸水被害。被災家屋84棟(愛知県)、571棟(岐阜県)。 1991年(平成3年)9月 - 台風18号と秋雨前線の活動により、内津川などが破堤。JR春日井駅等が冠水した。床上浸水1,722棟。被災家屋6,440棟(愛知県)、16棟(岐阜県)。 1999年(平成11年)6月 - 梅雨前線の活動により、上流部で床上浸水31棟。被災家屋1棟(愛知県)、120棟(岐阜県)。 2000年(平成12年)9月 - 台風14号により、新川が決壊。名古屋市、北名古屋市、清須市等で浸水被害(東海豪雨)。被災家屋34,041棟(愛知県)、8棟(岐阜県) 2011年(平成23年)9月 - 台風15号により、志段味地内で越水。支川では内津川、八田川、地蔵川等で越水。地蔵川沿川では400棟以上が浸水。
※この「水害の歴史」の解説は、「庄内川」の解説の一部です。
「水害の歴史」を含む「庄内川」の記事については、「庄内川」の概要を参照ください。
- 水害の歴史のページへのリンク