水害による壊滅的被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 16:31 UTC 版)
「ピョウタンの滝」の記事における「水害による壊滅的被害」の解説
村民に喜びをもたらした発電所の運転は順調とは言えなかった。冬の北海道は寒さで河川が凍結するため、厳冬期には発電量が激減し、送電できない日もあった。また、施設の故障が相次ぎ、水路や貯水槽などの補修が繰り返され、設計の半分以下の発電量となった。中札内村農協では、電力不足の際には中札内村の中心部に届いていた北海道電力から買電することを決め、追加の配線工事が行われた。 そして、竣工式から約1年後の1955年(昭和30年)7月、運命の日を迎える。豪雨によって札内川は大洪水となり、大量の土石流と流木が押し寄せた。一夜にして流れてきた16万立方メートルもの土砂でダムは埋没し、貯水不能となったほか、下流の発電施設も壊滅的打撃を受けた。ダム中央の大岩に生えていたエゾマツなどもそぎ落とされ、左岸もえぐられた。札内川は多雨期に急激に水かさを増す川だったのに加え、前年の洞爺丸台風で上流域の森林が大打撃を受け、林相が変化していたことも原因であった。 同じ日、十勝地方の小水力発電所は全て被災しているが、それらの施設は次々と再建が決まった。しかし、札内川小水力発電所だけは再建を断念した。建設費以上の復旧費用が必要とわかり、村では大議論の末に配電設備を活用して北海道電力から買電することになった。北海道電力からの配線工事が行われていたため、洪水による停電期間は1日だけで済んだとされる。 国と道の補助制度を利用して建設された道内115か所の発電所は、電力需要の増大に耐えられる規模ではなかったほか、運営組織が小規模で技術力・経営力が十分ではなかった上、水害に対して弱かった。また、河川に対する認識が甘く、調査が不十分であったことも指摘されている。後に関係者の一人は「あの暴れ川にあの規模の施設を造ろうと考えたこと自体が、国や道を含めて、皆の力の及ばないことだったのだと思う」と述懐しており、無謀な事業であったとの見方もある。一方で、農協ダムが膨大な砂礫をためたことで、下流域の被害が抑えられたという指摘もあり、この水害以降、札内川では大規模な砂防工事が行われた。また、農協ダムの上流3キロメートルの地点には、発電、洪水調整、水道水源などを目的とした札内川ダムが1981年(昭和56年)に着工し、1998年(平成10年)に完成している。
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