水害と治水事業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 00:53 UTC 版)
治水に関しては元来河岸段丘上に集落が形成されていたこともあり、目立った治水事業は行われていなかった。だが、明治以降次第に人口が増加し低地にも人が住むようになったことから、水害による被害が顕在化した。那珂川の場合は水源である那須高原において豪雨が降ると、栃木県における那珂川流域の洪水が一気に下流の水戸市付近に押し寄せることから水戸市の那珂川流域は水害常襲地帯であった。 1940年(昭和15年)9月豪雨を機に内務省は那珂川を直轄管理とし、堤防整備を中心とした河川整備を行った。戦後は1947年(昭和22年)に大水害が発生。これ以降那珂川水系の治水事業が本格化し始めた。1965年(昭和40年)には那珂川水系が河川法改正に伴って一級水系に指定、現在では箒川合流点から河口までの区間は直轄管理区間となった。同時期には栃木県・茨城県により洪水調節を主目的とした補助多目的ダムが主要支川である箒川・荒川・藤井川等に計画され、西荒川ダムを皮切りに塩原ダム・藤井川ダム・東荒川ダム・飯田ダムが建設された。 だが、その後も洪水は起こり、特に1986年(昭和61年)8月の「昭和61年8月豪雨」と1998年(平成10年)8月の「平成10年8月豪雨」は那珂川流域に甚大な被害を与えた。「昭和61年8月豪雨」は茨城県内の河川がことごとく氾濫したが、那珂川水系でも主要河川が氾濫。満潮とも重なり那珂川の河水が支流の河川に逆流して各所で堤防を越水、3,580戸が浸水する過去最悪の水害となった。 建設省(現・国土交通省関東地方整備局)は1988年(昭和63年)より激甚災害法に基づく『那珂川災害緊急改修事業』を行い無堤地の解消と支流における河水逆流防止のための水門整備を行った。さらに1998年(平成10年)からは「直轄河川災害復旧等関連緊急事業制度」の制定に伴い那珂川下流が事業指定され、堤防整備の他大場遊水池・御前山遊水池の整備、洪水時に流下阻害の要因となるJR東日本・水郡線那珂川橋梁の架け替えるなどの工事を現在実施中である。 茨城県も1988年より「藤井川ダム再開発事業」に着手、ダム湖を掘削して貯水容量を増大させることで洪水時の貯水容量を確保し、洪水調節機能を強化させた。但しダム建設に関しては、公共事業見直しの機運が那珂川水系にも押し寄せ、「緒川ダム建設事業」(緒川)や「大谷原川ダム建設事業」(大谷原川)が中止となっている。特に緒川ダム建設事業に関しては住民の反対が激しく、水源地域対策特別措置法(水特法)に指定されるほど事業が難航した結果の中止となっている。栃木県では県営の小規模生活貯水池事業であった「大室川ダム建設事業」が2006年の財務省予算案で計上が見送られ、事業中止の方向性が示されている。
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