高津川とは? わかりやすく解説

たかつ‐がわ〔‐がは〕【高津川】

読み方:たかつがわ

島根県南西部流れる川。山口県との県境にある平家ヶ岳(標高1066メートル)に源を発して北流し支流合わせて益田市内を貫流して日本海に注ぐ。長さ81キロ上流渓谷ではアユ漁が盛ん。


高津川

亜細亜清流 高津川
高津川は、その源を山口島根県境に連なる中国山地位置する島根県鹿足郡六日市町田野原発し、北に流下しながら六日市町柿木村日原町経て益田市横田において本水最大支川匹見川合わせ益田市貫流し日本海注いでます。流域面積は1,090km2幹川流路延長81kmで、その形状南北44km東西40kmの羽状をなし、高津川流域面積島根県全面積の約16%を占めてます。 高津川は、一級河川としては全国唯一ダムのない河川であり、さらに源流特定できる数少ない河川として知られています。

高津川河口付近
高津川河口付近

河川概要
水系高津川水系
河川名高津川
幹川流路延長81km
流域面積1,090km2
流域内人38,600
流域関係都県島根県広島県

高津川流域図
○拡大図
1.高津川の歴史
"河口を隣の益田川共有していましたが、藩の政策により川を付け替えました。その後氾濫繰り返して現在の形状となりました河川争奪により、宇佐川深谷川錦川奪われて、切頭川となりました
近年では、河川環境考慮して聖牛等の伝統工法導入してます。"

高津川の歴史先人の知恵活用

河川工事の記録
○ 高津川の最も古い河川工事記録は、江戸時代元和2年1616年)に新しく開削しと言われています。津和野藩亀井正矩が高津川河口部で、内田ライコウ掘削し津和野浜田両藩の藩境をなす名越の地にはね(水制工事行いそれまで益田川にも流れ込んでいた高津川を、自領内新河川を開削し流入させ、河港造りました当時の高津川下流は、浜田藩領内にあり、津和野藩領内日本海自由に通行できず不便をきたしていました。これにより、産業興隆交通利便物資輸出入図り高津河口繁栄し、藩を発展させました
古文書
○ 六日市町古社 新宮仁社に伝わる古文書によると、出雲の国でスサノウノミコトに討たれヤマタノオロチ怨霊が高津川の水源 大蛇ヶ池に棲みついたと伝えられています。
一級河川高津川は現在、この水源から流域面積1,090km2延長81kmも河川となって日本海流れてます。太古には、山口県境を越え宇佐川県境にある深谷川も高津川でしたが、河川争奪によって錦川奪われて切頭川となったものです。河川争奪争奪の肱)は、宇佐川では柳ヶ瀬付近深谷川では初見新田向峠付近100m上の渓谷となってます。初見新田向峠地区農地の下には旧河床思われる石礫残ってます。
下流日野地区の「八町八反八畝八歩一枚田」も、高津川の曲流蛇行地で淵であったものが、切頭されて流水減少により泥田化したものです。河川争奪により、流水減少したため、樋口九郎原間約2.5kmは、現在は水無川となってます。
近年では、河川が本来持っている快適性親水性考慮して、「聖牛ひじりうし)」等の伝統工法導入してます。伝統工法我が国古来より伝わる治水工法で、自然環境保ちつつ、河川人間及び生態系調和のとれた潤いある河川環境保持することを目的としています。
2.地域の中の高津川
"流域住民連携した川づくり等を行うアドプト・リバー・プログラムが中国地方初めスタートしました
河口付近毎年6月末に開催される水源祭のメイン行事として、雨乞い神事が行われています。
また、市街地洪水被害から守るため、防災ステーション等の水防施設整備してます。"

地域とのつながり

○ アドプト・リバープログラム
河川清掃美化ボランティア活動
清流高津川」を後世にへ継ぐため、もっと美しくする活動推進目指し流域住民連携した川づくり、河川管理を行うアドプト・リバー・プログラム(河川里親制度)が中国地方初めて高津川においてスタートしました河川敷地養子とし、河川美化活動団体里親となるもので、年3回上の河川清掃美化ボランティア活動行ってます。

○ 雨乞い神事
源流である大蛇ヶ池は、いかなる旱魃にもその蒼い枯れず湧き出ると言います。この地域人々と深い関わり持って暮らしてきました
雨乞い神事
特に稲作農民にとって日照り死活問題です。昔から日照り見舞われると、この地の村人たち水の枯れることのない大蛇ヶ池にわらで作った担ぎだし、雨乞い神事捧げていました。池のほとりの一本杉には大元神祀ってあり、この一本杉中心に雨乞い神事がとり行われていたのです。
まず、神主一週間神社お籠りをし、満願の日を迎えると、氏子たちがわら作り総出でこれを抱えて練り歩きます練り大蛇ヶ池に着くと、蛇体につけ、降雨祈願したいいますかつてはその後田野原大元神社籠りましたが、現在は一本杉にわら巻きつけます1939年昭和14年)を最後に途絶えていましたが、1986年昭和61年)に地元まちおこしグループにより復活し、現在は毎年6月末に水源祭のメイン行事として行われてます。

○ 流鏑馬やぶさめ
歌聖呼ばれる万葉集」の詩人柿本人麻呂」は、高津川河口部益田生まれ少年時代をこの地で送り晩年再び石見の国府に留まり高津鴨山その生涯閉じたという節があります9月1日旧暦8月1日)は人麻呂生誕の日とされ、鎌倉時代から8月1(朔)日を八朔として、武家節句定め武術奉納祭日としていました。後、稲の実り始め9月1日を「はっさくといって農家節句として、
流鏑馬
五穀豊穣祈願するようになりました奉納行事の「流鏑馬」の神事では、古式豊かな武束に身を固め、早がけする馬上から矢を射る妙技公開されています。
現在は、乗り手がいなくなり休止されています。

○ 放し鵜飼
の首に紐を付けず自由に泳がせて小魚をとらせ、鵜匠鳴き声のまねをしたりして呼び戻す方法は、全国唯一の伝統漁法です。残念ながら最近では見られなくなりました
放し鵜飼い
大正10年以前は、高津鵜匠十数人もいたと言われていますが現在は一人もいなくなり、また助成打ち切られ休止してます。
3.高津川の自然環境
" 水質良好で、清流生息する生物数多く棲息しています。また、イシドンコオオムラサキミクリ等の貴重種数多くつかってます。"

○ 生み出すブナなどの広葉樹林)に囲まれ六日市町に源を発した高津川は、大蛇のように流れ続け、やがて益田市日本海にたどり着きます。高津川の流域には、匹見峡柿木村棚田など、都会の喧騒忘れさせるのどかな癒し空間広がってます。こんな自然豊かな高津川が自信持っていることは、「水の清らかさ」です。
平成14年BOD値は、中国地方では1位、全国でも7位となってます。
○ 高津川の流域では、様々な生き物確認されており、アユは高津川を代表する昨年秋に海まで流された仔アユ稚アユにまで成長し4月になると川に遡上ます。また、貴重種数々確認されており、魚介類ではアユカケ・イシドンコ・イシドジョウ、小動物ではカジカガエル・アナグマ・ニホンイノシシ、鳥類ではカワセミ、 底生動物ではゲンジボタル・オナガサナエ、陸上昆虫類ではオオムラサキ・、植物ではタコノハシ、ミクリ等が生息してます。

カジカガエルオオムラサキ


ゲンジボタルミクリ


イシドンコカワセミ


○ 一級河川水源地特定できるのは珍しく水源地である大蛇ヶ池は「島根県名水百選」に、池の辺にある勇壮な一本杉樹齢約1,000と言われ島根県百選」に選定されています。
4.高津川の主な災害

昭和47年災害
昭和47年7月梅雨前線は、中国地方大部分集中豪雨もたらし、殆どの地域日雨量・総雨量既往最大異常気象でした。この時の気圧配置中国地方停滞する梅雨前線上を次々小さな低気圧通って石見地方雷雨性の豪雨もたらし7月9日13日の間、前線位置山陰沖から瀬戸内ぐらいまでの間を移動した過ぎず天気図はほとんど変わりませんでした主な災害この豪雨山地丘陵地では土壌飽和達して斜面崩壊被害が相次ぎました。島根県全体被害は、死者26名、負傷者79名、行方不明者2名、流失家屋95戸、全壊家屋559戸、床上浸水11,845戸、床下浸水26,449戸、被害総額840億6,432万円に及びました。

昭和58年災害
昭和58年7月22日夜から23日朝にかけて島根県西部中心とした記録的集中豪雨は、典型的な梅雨末期集中豪雨で、山陰沖から南下した梅雨前線に南からの湿った空気流れ込み激し上昇気流が厚い積乱雲発達させたことによりもたらされました。昭和47年の時と比べると、総雨量500mm以上の地域北部集中した局地的な豪雨で、総雨量益田市で633mm、三隅町で742mm、浜田市で516mmの記録的な豪雨となりました。高津川よりも益田川三隅川流域での被害大きく益田市三隅町では土石流山崩れによる犠牲者出しました島根県下の被害は、死者行方不明者107名、負傷者159名、全壊家屋1,372戸、流失家屋308戸、床上浸水7,741戸、床下浸水10,475戸、被害総額は3,600億円余にも上りました

主な災害
発生発生原因被災市町村被害状況
昭和47年7月梅雨前線益田市匹見町津和野町日原町柿木村六日市町死者26
全壊家屋559
浸水家屋38,294
流出家屋95
昭和58年7月梅雨前線益田市匹見町津和野町日原町柿木村六日市町死者行方不明者107
全壊家屋1,372
浸水家屋18,216
流出家屋308

(注:この情報2008年2月現在のものです)

高津川

読み方:タカズガワ(takazugawa)

所在 岩手県

水系 北上川水系


高津川

読み方:タカズガワ(takazugawa)

所在 新潟県

水系 鯖石川水系

等級 2級


高津川

読み方:タカツガワ(takatsugawa)

所在 島根県

水系 高津川水系

等級 1級


高津川

読み方:タカツガワ(takatsugawa)

所在 山口県

水系 阿武川水系

等級 2級


高津川

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/17 15:45 UTC 版)

高津川
水系 一級水系 高津川
種別 一級河川
延長 81 km
平均流量 51.8 m3/s
(高角観測所 2000年)
流域面積 1,090 km2
水源 島根県吉賀町
水源の標高 960 m
河口・合流先 益田港(島根県)
流域 日本島根県

テンプレートを表示

高津川(たかつがわ)は、島根県西部を流れる、一級河川高津川水系河川

地理

鹿足郡吉賀町田野原に源を発し、鹿足郡津和野町日原、益田市を経由して日本海に注ぐ。

一級河川で唯一、支流を含めてダムが一切無い。規模の大きい河川ながら上中流域に大きな人口密集地が無く、日本有数の清流として中上流域では毎年釣りが盛んである。毎年6月に吉賀町で「水源祭り」が、8月第1土曜日に益田市で「水郷祭」が行われる。

日本唯一の「放し鵜飼」としてカワウを使う漁があったが平成になってする人がいなくなった。

この川で捕れるの恩恵を流域の地域は強く受けてきた。例えば焼き鮎(乾燥アユ)を出汁に用いた雑煮は石見風雑煮として知られるが、飲食店・旅館の観光資源としての価値のみならず、流域の世帯で家庭料理としても受け継がれている。

名前

由来は不明であるが、歴史は非常に古い名前である。『万葉集』の柿本人麻呂の歌に詠まれた「石見のや 高角山の 木の間より 我が振る袖を 妹見つらむか」の「高角山」(たかつのやま)に関連があると思われる[1][2]

歴史

戦国大名の毛利元就も家臣の益田藤兼から「高津川の干鮎」を献上品として貰っている。(当時は益田川と高津川は下流で合流していた)

1530年には匹見川の水域について吉見頼興益田尹兼との間で協定が結ばれている。当時から高津川は大河として水産資源が豊富だったと思われる。

江戸時代にはアユを争って向横田と横田の漁師が殴りあいの喧嘩をし危うく津和野藩が仲裁に入る逸話が残されている。河口の西に津和野藩の塩田があったとされる[3][4]

毎年5月第3週の日曜日は、全一斉河川掃除が早朝5時30分から行われる。

2006年(平成18年)2月に、河川法に定められ河川整備の百年の計となる「河川整備基本方針」が策定され、国土交通省等により鋭意改修が続けられている

2022年9月、台風14号の影響によって吉賀町付近で越水による氾濫が発生した。田畑等浸水面積は3.4ha、住宅への浸水被害はなかった。

伝説

田野原の一本杉に出雲から逃げてきたヤマタノオロチの魂が宿り、水が沸いて高津川となる。

地元・有綱には4mを越す大蛇が地元の戦国武将・長嶺氏によって退治された逸話や日原の下瀬頼豊が川に潜った大蛇を追い払う逸話が残る。

流域の自治体

島根県
鹿足郡吉賀町、鹿足郡津和野町益田市

支流

橋梁

下流より記載

  • 吉賀川橋梁 - JR山口線
  • 脇本大橋
  • 口屋橋
  • 旭橋
  • 法師橋
  • 日原大橋 - 国道187号線
  • 犬戻橋 - 国道187号線
  • 円の谷橋 - 国道187号線
  • 新左鐙(しんさぶみ)橋 - 国道187号線
  • 睦橋
  • 万瀬大橋 - 国道187号線
  • 万瀬橋
  • 可部橋 - 国道187号線
  • 釣川橋
  • 甲島橋
  • 杉山橋
  • 古迫橋
  • 小野原橋
  • 柿木大橋
  • 相生橋
  • 柳原橋
  • 黒瀬橋
  • 月瀬橋
  • 向津橋
  • 殿明橋
  • 桟敷橋
  • 新桟敷橋
  • 七村橋
  • 抜月橋
  • 新抜月橋
  • 七日市橋
  • 坂折一号橋
  • 吉原橋
  • 広尾橋
  • 重藤橋 - 県道12号線
  • 桜橋
  • 河口橋
  • 谷尻橋
  • 塔尾橋
  • 八王子橋
  • 落合橋
  • 五味田橋 - 国道187号線
  • (旧JR鉄道橋)
  • 八ケ迫橋
  • 有飯橋 - 県道16号線
  • 有網橋
  • 畑詰橋
  • 沖場橋
  • 重則橋
  • 上高津川橋 - 中国自動車道
  • 林橋
  • 利光橋
  • 下高津川橋 - 中国自動車道
  • 重則親迫1号橋
  • 向畑橋
  • 蔵木橋 - 県道16号線
  • 蔵木橋側道橋 - 県道16号線
  • 無名橋
  • 本蔵木橋
  • 無名橋
  • 樋口山橋
  • 無名橋
  • 無名橋
  • 無名橋
  • 新田野原橋 - 県道16号線
  • (水管橋)
  • 古屋敷橋
  • 無名橋
  • 無名橋
  • 無名橋
  • 無名橋
  • 無名橋
  • 田野原高架橋
  • 無名橋
  • 無名橋

脚注

  1. ^ 高津川水系の流域及び河川の概要 (案)”. 国土交通省 河川局 (平成17-11-25). 2019年9月7日閲覧。
  2. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ). “高津(たかつ)とは”. コトバンク. 2019年9月7日閲覧。
  3. ^ 六十余州名所図会 石見 高津山汐浜 - 海の描かれた浮世絵 東京情報大学
  4. ^ 日本地誌略図(高津山汐浜) - 国文学研究資料館
  5. ^ 高角橋” (PDF). 中国建設弘済会. 2018年6月12日閲覧。
  6. ^ 高角橋 - 土木学会選奨土木遺産
  7. ^ 清流高津川の景観を彩る 飯田吊橋補修完了!!”. 益田市. 2018年6月12日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g FR32:川を渡る橋・島根県” (PDF). 中日本建設コンサルタント株式会社. p. 3. 2018年6月12日閲覧。
  9. ^ 益田市安富町 - googlemapストリートビュー
  10. ^ 益田市神田町 - googlemapストリートビュー
  11. ^ 益田市神田町 - googlemapストリートビュー
  12. ^ 益田市神田町 - googlemapストリートビュー
  13. ^ 津和野町添谷 - googlemapストリートビュー
  14. ^ 津和野町富田 - googlemapストリートビュー

外部リンク




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