はっ‐さく【八×朔】
読み方:はっさく
1 陰暦の八月朔日(ついたち)のこと。また、その日に行われる行事。農家ではその年の新穀を日ごろ世話になっている人に贈って祝った。町家でもこの風を受けて互いに贈り物をし、祝賀の意を表した。また、徳川家康がこの日江戸城入りをしたところから、武家の祝日となり、大名・旗本などが白帷子(かたびら)で登城し、将軍家に祝辞を述べた。また、江戸吉原では、遊女たちが白無垢(しろむく)の小袖を着て祝った。《季 秋》「—や町人ながら京留守居/太祇」
2 ミカンの一品種。果実は表皮が滑らかでやや小形、甘味も多い。江戸末期に広島県因島で発見された。八朔柑(はっさくかん)。《季 春》「指こぞり—を剝けり専念に/波郷」
はっさく (八朔)




●わが国が原産の柑橘系の果樹です。発見されたのは江戸時代の終わり、広島県因島市田熊町の浄土寺に実生から成長した原木がありました。いまでは「ぶんたん(Citrus grandis)」の雑種と考えられています。5月ごろに芳香のある白い花を咲かせ、果実は12月には熟します。ふつうは収穫後、しばらく酸抜きのために貯蔵してから出荷するそうです。
●ミカン科ミカン属の常緑低木で、学名は Citrus hassaku。英名は Hassaku orange。
八朔
八朔
八朔
姓 | 読み方 |
---|---|
八朔 | はつさく |
八朔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/04 03:47 UTC 版)
八朔(はっさく)とは八月朔日の略で、旧暦の8月1日のことである。
新暦では年ごとに8月25日頃から9月23日(秋分)頃まで移る。旧暦の秋分は8月とされ、早ければ新暦の日付より29日ほど前にあたり、遅ければ同じく当日となる[1]。
この頃、早稲の穂が実るので、農民の間で初穂を恩人などに贈る風習が古くからあった。このことから、田の実節句(たのみのせっく)ともいう。この「たのみ」を「頼み」にかけ、武家や公家の間でも、日頃から面倒をみてもらっている(頼み合っている)人に、その恩を感謝する意味で節供の贈り物をするようになった[2][3]。
歴史
室町幕府において既に公式の行事として採用されたことが知られている[4]。幕府の関東地方における出先機関であった鎌倉府でも8月1日に八朔の儀式が行われており、関東の諸大名や寺社から刀剣や唐物、馬などが鎌倉公方に献上され、鎌倉公方からも献上者に対して御礼の品となる刀剣や唐物、馬などが下賜されていたと『鎌倉年中行事』に見える。その影響か、戦国時代には後北条氏や宇都宮氏でも八朔に関する記録が残されている[5]。
徳川家康が天正18年8月1日(グレゴリオ暦1590年8月30日)に初めて公式に江戸城に入城したとされることから、江戸幕府はこの日を正月に次ぐ祝日としていた[注釈 1][11][12]。ただし、家康の家臣である松平家忠の日記によれば、実際の入城は7月18日。[要出典]である。
豊臣秀吉が小田原征伐後に進めていた関東諸大名の領国画定作業(「関東国分」)が8月1日に佐竹義宣の領国画定によってほぼ完了し、 徳川氏の新しい領国が正式に確定されている[疑問点 ]。豊臣政権による新しい領国画定の日が江戸幕府の成立以降、家康の公式の入城日と解釈されるに至ったと考えられる[13]。
江戸時代半ばには、毎月のどの節日にどんな食事をとるか、八月朔日の献立もメニューをまとめた『年中御祝儀方供御』がまとまった[14]。 武家同士が交わした八朔節供の祝いと答礼は記録があり、たとえば薩摩藩(正徳元年)の藩主松平薩摩守の正室から贈られた祝いの品の返礼[15][16][17]、八戸藩[18]の例がある。
明治以降
明治改暦以降は、地方や都市により新暦8月1日や月遅れで9月1日、あるいは神社の暦に従い、秋分より前の日付に行われる[19]。また、この日に供える花の活け方が伝わる[20]。
各地の行事
熊本の八朔祭

熊本県上益城郡山都町の浜町では、野山の自然素材を豊富に使った巨大な「造り物」が名物の「八朔祭」(はっさくまつり)[23]が、毎年、旧暦8月1日の平均に近い週末を選び、9月の第1土曜・日曜の2日にわたって開催される。この節供の祭りは建長年間(1249年–)の89代後深草天皇の治世に遡るとする説[24]、江戸時代中期から始まったとする説[25]があり、田の神に感謝し収穫の目安を立てる日とされ、例年、NHKなど全国ニュースも取り上げるほど名のとおった祭りである。
町の中心街を高さ3〜4m、長さ7〜8mにも達する数十基の大造り物(山車)[注釈 2]が引き廻される光景は壮観で、内外より多くの観光客や写真家を呼び込んでいる。
祭りに合わせて放水する国の重要文化財、通潤橋(つうじゅんきょう)の姿は見事で、夜には通潤橋の近くで花火も打ち上げられ、日頃は閑散とした山の町が遅くまで大勢の観光客で賑わう。
造り物には順位が付けられ、浜町内の各町や団体が長年培ってきた技術、作品のテーマや形にアイデアや知恵を絞り、競い合っている[注釈 3]。祭りの本格的な準備は約1ヶ月前から始まり、町内各地に、造り物の山車を作る小屋や番屋が立つ。
福井の八朔祭
福井県美浜町[26][27]の新庄区では、五穀豊穣と子孫繁栄を願っておこなわれる[28][29]。太鼓や笛のおはやしの中、樽神輿を担いだ行列が田代公会堂を出発し、日吉神社まで進む。この行列に続いて、男性のシンボルをかたどったご神体を持ったてんぐが進む。てんぐはご神体(長さ約60センチの木製)で見物客の女性をつつき、その女性は子宝に恵まれるといういわれがある[30]。
その他の地域の行事

山形県の出羽三山八朔祭[31]、茨城県大洗の八朔[32]は1980年代半ばの記録がある。 山梨県都留市では八朔祭り(「おはっさく」)が行われている[33]。都留市の八朔祭りは毎年8月1日の八朔に行われていたが[34]、現在では月遅れの9月1日に近い日取りを選んで[35]実施されている。都留市四日市場の生出神社(おいでじんじゃ)の例祭が発展した祭りで、本祭では神輿が渡御し、附祭では大名行列や屋台が巡行する[36]。江戸後期の天保年間にはすでに実施されたと記録があり[36]、郡内領主であった秋元氏が川越に転封されたとき(1704年)、下天神町が行列の道具一式を授与されたという[34]。現存する屋台後幕は浮世絵師の葛飾北斎が手がけた[37]とする伝承がある。
京都市東山区の祇園一帯など花街では新暦8月1日に「八朔のあいさつ回り」[40]と称して、芸妓や舞妓がお茶屋や芸事の師匠宅を訪れる伝統行事[41]がある。
大阪府堺市の開口神社(あぐちじんじゃ)八朔祭は2017年(平成28年)に調査報告書を出した時点[42]で秋祭りとして600年超にわたり続いて[注釈 4][注釈 5]、執行は9月上旬[50]である。宮入りは輿にふとんを積み太鼓を据えた「ふとん太鼓」が開口神社へ4基(南ノ庄)と菅原神社へ2基(北ノ庄)、それぞれ担ぎ込まれる[50]。古来は「南大小路鉾」と呼ばれる山鉾(山車)[51]を曳き(ひき)、山車(だんじり)に代わってから、現状のふとん太鼓を用いるように変遷した[42]。
香川県丸亀市の一部では、男児の健やかな成長を祈り、その地方で獲れた米の粉で「八朔だんご馬」を作る風習がある[52]。丸亀を含む讃岐国を領した生駒氏家臣で、馬術の名人として名高い曲垣平九郎に因んでいる[53][54]。
香川県三豊市仁尾町の一部や兵庫県たつの市[注釈 6]御津町室津地区など、本来は旧暦3月3日の節句に行われる雛祭りを歴史的経緯によって八朔に延期する風習を持つ地域も存在する[注釈 6]。
福岡県遠賀郡芦屋町では、「八朔の節句」として長男・長女の誕生を祝い、男児は藁で編む「わら馬」、女児は米粉で作る「だごびーな(団子雛)」を家に飾る行事が伝わっており、300年以上続くその歴史を認めた国は記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選んだ。
ゆかりの食品
ハッサクは、8月1日ごろに食べられるようになったため、この名が付いた[59]。
八朔すなわち田実の節(たのみのせち)の稲穂を贈りあったという縁起に添って餅をつき、甘みのない「八朔のにが餅」[60]やその応用[61]や、おはぎ[9]や泣きまんじゅう[62]を作り、あるいは米をあぶった「八朔の焼米」[63][64]ほかの食品がある。秋の郷土食を見ると、縁起をかついで八朔に食べる食品が秋田市[65]、埼玉県吉川市[68]、同県熊谷市[69]、岡山県[70]、香川県丸亀市[71]に伝わる。
神奈川県には「焼き米搗唄」(やきごめつきうた)という民謡があった[72]。
ギャラリー
- 各地の八朔の記録
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『八朔御答賜品』という記録帳
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贈り物に答礼する習俗について(麻谷老愚 編『八朔御礼ト古俗』写本)
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唐物の運搬と経費(日雇賃銅口銭)の記録
脚注
注釈
- ^ 旧暦8月1日に行われる行事「八朔」の由来は、豊中市立図書館が参考文献の調査と概要を紹介した[10]
- ^ 大造り物には他にお囃子隊が同行する。
- ^ その年に起きた出来事や注目された人物など、ユーモアたっぷりに風刺した造り物が多い。
- ^ 2017年(平成28年)に報告書を出した調査は、伝統文化を継承し地域活性化を目指して、文化庁から文化芸術振興費補助金を受けた(「文化遺産を活かした地域活性化事業」)[42]。
- ^ 開口神社の八朔祭は『開口神社八朔祭 記録作成・調査研究事業報告書』(同祭伝統文化保存継承委員会、2017年[42])に詳しい。堺市立中央図書館の調査[43]によると、同社の絵馬堂に納められた「三村宮祭礼絵馬」は山鉾と祭礼の様子を描くこと、その絵馬は焼失したが写真「開口神社祭礼鉾」は1927年(昭和2年)撮影であること[48]がわかった[43]。ただし山鉾の由緒は不明とされる[49]。絵馬の奉納の時期は不明である[43]。
- ^ a b 龍野(たつの)の変わり雛[55][56]は歴史文化資料[57]として保存される[58]。
出典
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- ^ a b 豊中市史編さん委員会 編『民俗』豊中市〈新修豊中市史第7巻〉、219頁。「「9月の行事」によると、豊中市域において旧暦の8月1日(八朔)はムラヤスミで、特別な行事はなかったが多くの家ではオハギを作って食べたとのこと。八朔盆(はっさくぼん)と呼ぶ地域もあり。またこの日から昼寝をしなくなる家が多く見られたとの記載もあり。」
- ^ 旧暦8月1日に行われる行事「八朔」の由来[6]、「八朔」「八朔の御節供」[7]、「八朔」「八朔の祝」[8]、「9月の行事」[9]。
- ^ 『年中行事事典』、639頁。
- ^ 冨山房雑誌部 1898, p. 75-84, 「史料 §徳川家八朔祝賀の起因」
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-
- 〔p.968〕 [3109] 同上〔[3107] 吉貴公御譜中 正文在庫〕(略)為八朔之御祝儀、以御使者御太刀一腰・御馬代黄金十両被献之〓、遂披露〓之儀一段之御仕合〓、恐々謹言(後略)朱カキ 正徳元年八月三日
- 〔p.970〕 [3120] 同上〔[3109]〕(略)公方様 御䑓様御機きけんよく御座なされ、(中略)御䑓様よりおくさまへ八朔の御しうき(祝儀)御樽肴まいらせられ、〓又此度摂政様へ御加領進しられ給御しうき(祝儀)、みつ君さま・しんしゃう院さま・おくさま(後略)朱カキ 正徳元年
- 〔p.971〕[3121] 同上〔[3120]〕 尚々お礼のやう御ゐんきん(慇懃)の御事にそんしまいらせ〓、めてたくかしこく、御ふみ下され〓、まつ々
-
- ^ 鹿児島県維新史料編さん所 編『旧記雑録』 追録4、鹿児島県〈鹿児島県史料〉、1974年2月1日。NDLJP:13590097/1/5?。
- ^ 伊地知方畠 著、鹿児島県維新史料編さん所 編『旧記雑録』(PDF) 前編2、鹿児島県〈鹿児島県史料〉、1980年1月21日 。2025年8月3日閲覧。「被持候、一御屋形様へ八朔の御祝、いつものことくあかり候次第、先一瓢之御太刀、薩州豊州江州一上様へ祝物あわせ一色紺一」
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- 表1 志和観音別当成海家文書『年中行事成海主』の構成
- 〔p.99〕No.1-10。年中行事:八月一日 八朔の御祝儀。服装や参加者・内容:麻裃(かみしも):下代 参加者七夕と同様
- 〔p.90-91〕「10 九月の行事」(中略)八朔の御祝いに代官所に出向く際の服装は、七夕の時と同じだとある。田の稔(みの)りの予祝で、風雨随時と五穀豊穣を祈り、頼みに(田の稔りと頼みをかけて)思う、面倒をみてもらっている貴人に稲穂を献上する日だった。
- 〔p.90〕さらに駿府から国替えになった徳川家康が天正十八年(1590)のこの日に江戸入城を果たしたため、幕府では正月に次ぐ大事な祝日であった。これにちなんで諸藩もこぞって祝うようになったと伝えられる。
- 〔p.90〕八戸藩主からは将軍への初鮭や初菱喰を献上したことが『日記』に見える。寛文9年(1669)小八月朔条にも「八朔之御礼何も御広間へ罷上ル」とあり、八戸城内の広間で行事が行われていたことがわかる。
- 〔p.90〕八月八日は志和八幡宮の祭日であった。現在は九月九日に行われている。代官以下諸役人や名主も総参加で湯立て神事や祈禱や神楽を見ている。
-
- ^ 江戸時代・現代研究会、加来 耕三「第8章 葉月(八月)—八朔を律儀に着ると風を引き」『江戸時代まるごとカレンダー』白夜書房、2008年。 ISBN 9784861914324。 NCID BA88273770。
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- ^ 「秋から冬の行事」[66]、「三輪野江地区」(近世からの村)[67]。
- ^ 熊谷市教育委員会 編「第9章 農村の年中行事 §第5節 秋から冬の行事 §§1 八朔」『民俗編』 別編 1、熊谷市、埼玉県 〈熊谷市史〉、2014年3月、459頁。国立国会図書館書誌ID: 025469103。639頁 ; 31cm。国立国会図書館蔵書。
- ^ 桂又三郎「52 八朔」『岡山県の食習俗 : 岡山県における食習俗調査報告書』(限定版)岡山県、1961年、267頁。doi:10.11501/9544194。国立国会図書館書誌ID: 000001033138。445頁、地図 ; 22cm。国立国会図書館蔵書。
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- ^ 飯塚書店編集部 編「焼米搗唄(神奈川)」『日本民謡集 : 日本の歌曲・日本の民謡』飯塚書店、1958年。doi:10.11501/2485724 。
参考文献
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主な執筆者、編者の順。
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- コマ番号:6 「目次:八月 八朔、同土用見舞」
- コマ番号:22 「八月一日 八朔」「五節句と八朔とは四天王と」
- コマ番号:23 「八朔の配り物」「八朔の御祝義」
- 岡田浩洋、ほか 編「5 変わりゆく人びとの暮らし — より豊かに、より便利に ●ふるさとの祭り」『目で見る宇城・上益城の100年』佐藤伸二 監修、郷土出版社、名古屋、2000年11月。doi:10.11501/12653853。国立国会図書館書誌ID: 000002945759。146頁、38cm。国立国会図書館蔵書。熊本県。
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- 八朔祭りの作り物 p. 131
- 矢部八朔祭り p. 132
- 「八朔祭り」『思い出のアルバム都留 : 写真集』奥隆行 [ほか] 編著、郷土出版社、松本、1985年3月、98-108頁。doi:10.11501/9539817。国立国会図書館書誌ID: 000001770310。 180頁、27cm。国立国会図書館蔵書。
- 「1 年中行事について 八朔行事(はっさくぎょうじ)」『下松市の風俗と生活・年中行事』下松市教育委員会、盟昇印刷株式会社(印刷)、山口県、1982年3月1日、53頁 。2025年8月1日閲覧。昭和57年3月1日発行。
- 柴裕之『徳川家康 境界の領主から天下人へ』平凡社〈中世から近世へ〉、2017年6月、193頁。
- 昭雲斎竜甫『池の坊流生花のしるべ : 附・四季投入と盛花』 上巻、大文館、大阪、1930年。doi:10.11501/1103289。国立国会図書館書誌ID: 000000639092。昭和5年、65頁、23cm。国立国会図書館蔵書。
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- 「目次:八朔の花の入れ方」p.6
- 「4 生花の眞諦 §八朔の花の入れ方」
- 西角井正慶 編『年中行事事典』東京堂出版、1958年5月23日、638頁。(昭和33年)初版発行。
- 『農業用語大辞典』日本総合図書販売、農林図書刊行会(発売)、1983年2月。doi:10.11501/13641974。国立国会図書館書誌ID: 000001956613。
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- 「大洗の八朔(茨城)」p.64
- 「出羽三山八朔祭(山形)」p.70
- 「八朔祭」p.83
- 「八朔」p.177
- 冨山房雑誌部(編)「史料 §徳川家八朔祝賀の起因」、旧幕府雑誌社、1898年、doi:10.11501/1559409、国立国会図書館書誌ID: 000000005093。(明治31年)『同方会雑誌』第6号より抄出。
- 毎日新聞社水戸支局 編「八朔祭に米騒動」『茨城の明治百年』毎日新聞社水戸支局、1968年。doi:10.11501/3448840。国立国会図書館書誌ID: 000001210771。381頁、図 ; 18cm。国立国会図書館蔵書。
- 吉川市史編さん委員会 編『民俗編』吉川市、埼玉県〈吉川市史〉、2010年8月、170-、310-、394-、頁。国立国会図書館書誌ID: 000011040321。569, 18頁 ; 27cm。国立国会図書館蔵書。
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- §第8節 商いと人々のくらし(四月八日、八朔、八日節供)
- 第7章 食の風景 §第2節 行事と食べ物 §§7 秋から冬の行事(十五夜、八朔、稲の収穫祝い、お日待ち、クンチ、秋の恵比須講、荒神様、大師講、八日節供、冬至、大晦日)
- 第9章 移りゆく1年 §第2節 三輪野江地区(近世からの村)§4 秋から冬の行事(八朔、秋の彼岸、十五夜、十三夜、くんち、お日待、荒神様の日、二十三夜、カマッパライ(鎌祓い)、コキ祓い、カラス祓い、八日節供、大師講、冬至)
- 「3 たちこめる暗雲を前に 昭和初期の暮らしの断章 §八朔の午節句」『目で見る中讃・西讃の100年』和田仁 監修、郷土出版社、名古屋、2000年7月、70頁。doi:10.11501/12703657。国立国会図書館書誌ID: 000002917766。146頁、37cm。国立国会図書館蔵書。香川県。
関連項目
- 地名
外部リンク
八朔
「八朔」の例文・使い方・用例・文例
八朔と同じ種類の言葉
- >> 「八朔」を含む用語の索引
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