大名・旗本
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真田幸村(さなだゆきむら) 大坂の陣で討死した、豊臣方の勇将。定紋は六文銭。兵藤伊織や真田十勇士の主君である。伊織は幸村の姫らしいが、詳細不明。 花房 職秀(はなぶさ もとひで) 「震鬼編」に登場。備中高松城の城主。枕元に現れた吉備津彦命の御伽仕立瘤取剣で生ける福笑いにされたのち、その命を受けて豊臣秀頼の胤を宿す女を狩るため、領内の素性の知れぬ身重の女を捕らえ処刑する。女達の放免と引き換えに名乗り出た憐を釜茹でにし、怨身忍者「震鬼」へと覚醒させてしまう。 最後は腰元達を盾に助かろうとするが、憐の怨身忍法「震え抜き」で心臓を抜かれる。大義を語り命乞いをするが、聞き届けられず、心臓を潰されて絶命。史実記録でもこのころに死去とされる。 豊臣秀頼(とよとみ ひでより) 「霹鬼編」に登場。落城した大坂城主。先立つ「震鬼編」にて、桃太郎により彼の落胤狩りが行われ、これが震鬼現出のきっかけとなった。 大坂城跡にて発見された遺体は影武者であり、本人は琉球の集落に匿われるが、現地人への感謝は無く、それどころか彼らを畜生以下と蔑視し、恥辱に怒りを燃やしていた。 幻之介を捨てたことで島津義弘にも不信を買い、霹鬼に不信を増幅された義弘から顔の前面を削ぎ落とされ、再起の道を絶たれる。その後は薩摩の地で住民に慕われ68歳まで生きながらえた。 嫡子の豊臣国松7歳は「雪鬼編」で処刑されたことが語られており、正式な後継は絶えた。また「霞鬼編」にて波裸羅は、死罪宣告された国松の関係者を装う作戦で、零鬼と伊織をおびき出した。 島津 義弘(しまづ よしひろ) 「霹鬼編」に登場。関ヶ原激戦「島津の退き口」生還の猛将。薩摩の軍を率いて琉球に秀頼を迎えに訪れる。 島津 家久(しまづ いえひさ) 「宮本武蔵編」に登場。島津家当主。島津忠恒のことであるが、「家康」との繋がりから「家久」と表記される。 覇府勅命の播磨の鬼退治の指揮を、中馬大蔵に命じる。宮本武蔵に実高の鎧を授け、自らチェストを打ち込み強度を試す。武蔵が鬼退治をなした際には、散った部下たちの仇を取ったと感涙した。 武田信玄(たけだしんげん) 前世代の武将にあたる。法名:武田法性院信玄入道。巨具足「人間城」舞六剣の主。山本勘助や諏訪家の旧主君。 「霧鬼編」冒頭にて舞六剣の活躍、三方ヶ原合戦が描かれる。若き家康の「砦」たる金陀美を嘲笑い、「城」舞六剣を見せつけ、圧倒的戦力差で大勝。家康は敗走した上に脱糞するなど生涯無二の大敗北を喫した。 諏訪頼水(すわ よりみず) 「霧鬼編」に登場。諏訪高島城主の息子。視聴覚、嗅覚といった感覚を研ぎ澄ます拡充具足「無明」を身に纏い、武田信玄の巨具足「舞六剣」を自らのものにしようとする野心家。 「地に立てた刀を切り上げる」という剣術でツムグを斬り捨て死に至らしめるも、無明を着装した状態で舞六剣の砲撃による大音響を間近で浴び、視聴覚を失う。城も壊滅させられたことで負けを認め、家督を息子に譲って出家した。 千本 義隆(せんぼん よしたか) 「沖田総司編」に登場。旗本。本多正純から贈られた皿を割った奉公女の雀を罰し、谷衛成に斬らせ、霓鬼と虹鬼が怨身する原因を作った人物。虹鬼に殺され、屋敷ごと焼かれた。史実記録でもこのころに死去とされる。 真田信之(さなだ のぶゆき) 「雷鬼編」に登場。真田幸村の兄で信州上田城の城主。大坂の陣では兄は徳川・弟は豊臣という別陣営に与した。幸村配下の真田十勇士の生き残りと対面。
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