大名士
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/12 20:28 UTC 版)
日本海軍ではケタ外れに奇行に富む人物を"大名士"と呼び、この系譜に連なるものに山本五十六、有地十五郎、須賀彦次郎などがいた。津留はこうした提督連を抑え、海軍一の大名士といわれる。次に2名の海軍関係者による津留評を引用する。 軍令部総長・豊田副武 太平洋戦争の時の、あの「月月火水木金金」という標語、 - あれは当時大尉位だった津留雄三というユーモア100パーセントの人が、評判だった伊集院さんの猛訓練を、月月火水木金金と洒落のめしたのが事の始まりなのである。オリジンは、この津留大佐で、この人は大佐で辞めた。宮崎県の産で、ユーモアに富んでいて、どんな難しい無愛想な人間でも、津留が行けば忽ち腹をかかえて笑いだすというほどの、薩摩弁まるだしの話術の大家だった。 — 最後の帝国海軍より引用 海軍兵学校英語教授・平賀春二 この人、生来、天衣無縫、脱俗洒脱、無欲恬淡、奇行に富み、当意即妙、機知頓知湧くが如く、しかもヘル談の大家であった。 — 海軍おもしろ話 戦前・戦後篇 より引用 ヘル談のヘルは英語の「help」、即ち日本語の「助ける」から転じて助平を意味し、ウィット、ユーモアが利いていることが必要であった。英語版の名手としては最後の駐米武官・横山一郎がいる。上質のヘル談は海上生活が続く男たちに喜ばれ、軍艦生活の潤滑剤として必須であった。もっとも男たちは陸上でも喜んでいる。 津留を巡る珍談・奇談は真偽不明なものを含め多く伝わっているが、2例を紹介する。 <誰か能く止め得ん> 海軍軍令部長の鈴木貫太郎大将が臨席する場で、砲撃中止の命令の後に、なお砲撃が継続された事案が、軍紀違反として問題とされた。列席者が沈黙する中、津留は発言した。「いまいくいまいくという大事なせつなに、以下略」。満場は爆笑に包まれ、"鬼貫"と呼ばれた鈴木貫太郎軍令部長も破顔したという。 <軍艦と女性自身> 日本海軍は日本海海戦が行われた毎年5月27日を海軍記念日として、各種学校などへ士官を派遣し講演を行っていた。津留は、とある女学校で軍艦の話をすることになり、説明上黒板に軍艦の絵を描き始めた。しかし生徒たちは顔を赤くしてうつむいてしまい講演は中止となった。津留の描く軍艦の絵が何かに似てしまったのが原因である。
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