吉見頼興とは? わかりやすく解説

吉見頼興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/24 14:05 UTC 版)

 
吉見頼興
時代 室町時代後期 - 戦国時代
生誕 寛正元年(1460年
死没 享禄5年4月12日1532年5月26日[1][2]
改名 頼利[2]、頼興[2]、入道徳陽(法名)[2]
別名 頼見、彦三郎(通称)[2]
戒名 伝法寺殿徳陽永公大居士、伝法寺一来徳陽[2]
官位 式部少輔[2]三河守[2]
主君 大内政弘義興義隆
氏族 清和源氏範頼石見吉見氏
父母 父:吉見成頼 母:周布兼宗の娘[2]
兄弟 信頼[2]頼興、岸田頼貞[2]、頼高[2]
成廉[2]、下森頼直、杉野頼豊[2]
夕倉頼元[2]、頼安[2]、雲松[2]
頼成[2]、立戸頼時
内藤弘矩[2]
興成、隆頼、威俊、周信、正頼、頼盛、
頼員、頼実、範弘、周布興兼室
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吉見 頼興(よしみ よりおき)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将大内氏の家臣。石見吉見氏9代当主。

出自

石見国国人である石見吉見氏は、鎌倉幕府初代将軍源頼朝の弟・範頼を遠祖とする清和源氏の支流・吉見氏の傍流にあたる。

生涯

寛正元年(1460年)、吉見成頼の子として誕生。

文明14年(1482年)、兄・信頼から家督を譲られて吉見氏の当主となる。その直後の5月27日、主君・大内政弘山口の築山館で開催した酒宴の席上で兄信頼が陶弘護を殺害、その場で内藤弘矩に粛清される騒動が起きる(大内山口事件)。主君・大内政弘は応仁の乱で動揺する領国の安定を優先したため、吉見氏は所領の没収だけで済んだ[注釈 1]。また、益田氏も吉見氏を攻めるが、父・吉見成頼による室町幕府への働きかけが成功して、9代将軍足利義尚が停戦命令[注釈 2]を出したこともあり益田氏も撤退した。だが、この事件で吉見氏の威信は地に堕ち、以降頼興は信頼回復のために奔走する。

政弘の没後、大内義興に従い各地を転戦した。義興が足利義稙を擁して上洛するとこれに従い、永正8年(1511年)の船岡山合戦で戦功を挙げている。こうした献身的な忠義で義興の信頼を勝ち取り、嫡男・隆頼(頼隆)の正室に義興の娘・大宮姫を迎え、また兄の凶行で没収された吉賀郷などの所領を再び与えられた。

享禄5年(1532年)4月12日、死去。享年73。長男・興成(おきなり)は早世していたため、家督は次男・隆頼(頼隆)が継いだ。五男の正頼は初め僧籍にあったが、隆頼の死後還俗してその跡を継いでいる。

系譜

  • 側室:京都の上野図書の娘(-天文12(1543)年2月28日):法名は正楽院殿法山妙輪大姉。墓と肖像が現存する[5][6]
    • 五男:吉見正頼(1513-1588):初め僧、周鷹。[2]
    • 七男:吉見頼員(? - ?) … 安房守、法名桂岩源林。長門国阿武郡弥富に住む。長門国阿武郡上田万村平山星之城主。上野氏祖[2]
  • 生母不明の子女
    • 長男:吉見興成(? -永正7(1510)年8月17日) … 二郎、法名は繁禅玄昌[2]
    • 三男:威俊(? - ?) … 僧、伝法寺住職[2]
    • 四男:吉見頼実(? - ?) … 因幡守、法名は松岳源桂[2]
    • 六男:周信(? - ?) … 僧、はじめ少将、津和野鷲原八幡宮別当東光院住職[2]
    • 女子:周布興兼室( - 天文11年(1542年)2月21日) … 66歳、法名翠庵祖藤[2]
    • 女子:(? - 天文18年(1549年)1月17日) … 法名明室貞祐[2]
    • 女子:(? - 天文18年(1549年)3月21日) … 法名久室慶昌[2]
    • 女子:(? - ?) … 法名呉安尼[2]

脚注

注釈

  1. ^ 山口大内事件の背後には主君大内政弘が存在したとする藤井崇の説もある[3]
  2. ^ 文明14年12月17日付(室町幕府)奉行人奉書[4]

出典

参考文献





固有名詞の分類


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