長享・延徳の乱
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長享・延徳の乱(ちょうきょう・えんとくのらん)とは、室町時代後期の長享元年(1487年)と延徳3年(1491年)の2度に亘って室町幕府が行った近江守護・六角行高(後の六角高頼)に対する親征で、六角征伐とも称される。なお、1度目の出陣は近江国栗太郡鈎(まがり)(滋賀県栗東市)に在陣したため、別に鈎の陣とも称される。
- ^ a b c d e 渡邊 2011, 第六章
- ^ 熱田研究よもぎの会『史蹟あつた』泰文堂、1962年10月25日、pp.82 - 83
- ^ 谷信一「出陣影の研究 上―地蔵院本は足利義尚像なること―」『美術研究』第67号、東京文化財研究所、1937年8月、1-11頁、CRID 1050282676660225152、NAID 120006481716、2023年11月15日閲覧。
- ^ “絹本著色騎馬武者像(伝足利尊氏像)(けんぽんちゃくしょくきばむしゃぞう)”. 愛知県. 2022年4月24日閲覧。
- ^ 『鹿苑日録』
- ^ a b c d e 山田 2016, 第1部 第2章-第3章
- ^ 村井祐樹 『六角定頼 武門の棟梁、天下を平定す』 ミネルヴァ書房、2019年5月。ISBN 978-4-623-08639-9 P283-287.
- 1 長享・延徳の乱とは
- 2 長享・延徳の乱の概要
- 3 遠征の影響
- 4 鈎の陣を題材とした作品
- 5 参考文献
鈎の陣
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長享年間(1487年-1489年)には、室町将軍足利義尚が六角高頼を討伐するための陣所を栗太郡の鈎に構えた(.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}鈎(まがり)の陣、長享の乱)。このとき奉行衆も随行しており、鈎の陣所は臨時の政庁としての機能を有していた。
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