酒津
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 23:53 UTC 版)
市域北部で、当地区の北部に位置し、総社市清音と接する。古代における海岸線であり、総社市湛井で分岐し、さらに総社市清音古地で分岐した高梁川の河口にあたる。古くから河口周辺に位置する川湊として開かれていた。 中世になると、近隣で青江派と呼ばれる刀工等が活発に活動し、彼らの刀剣が酒津の湊から水運を利用して各地に流通した。 中世後期から明治までの干拓により沿岸地から内陸地へと変化したが、高梁川の水運を利用し川港としての機能を保持したが、新田が南部へと干拓により広がるにつれ、その港機能を失っていった。明治期には高梁川の大改修により川筋が変遷。酒津の中央部を西南方向へ大きく跨る形となり、多くの土地が水没した。旧川筋は廃川となり新しい土地も生まれた。 その後に廃川地を利用し、酒津と水江にまたがり設立された倉敷絹織(倉敷レーヨン、クラレ)の影響で住宅地が発達した。また、取水のべんがよいため、周辺に広がる広大な平野地帯への配水池として水利上重要な地として整備された(酒津堰)。その周囲はたくさんの桜が植えられ、公園に整備され、現在も憩いの場・桜の名所として知られている。
※この「酒津」の解説は、「中洲 (倉敷市)」の解説の一部です。
「酒津」を含む「中洲 (倉敷市)」の記事については、「中洲 (倉敷市)」の概要を参照ください。
- >> 「酒津」を含む用語の索引
- 酒津のページへのリンク