秦松とは? わかりやすく解説

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秦松Qin Song

シンショウ

(?~?)

字は文表。広陵郡の人《張紘伝》。

張昭・張紘陳端とともに孫策謀主となり、上客として遇せられる《討逆・陸績伝》。建安十三年(二〇八)、曹操軍南下してくると、張昭とともに使者派遣して曹操奉迎すべきと主張呂蒙伝》。これは妻子顧みて私情差し挟んだもので、いたく失望させられたと孫権評された《周瑜伝》。京に滞在した劉備西方帰ることになったとき、秦松は孫権付き従って張昭魯粛とともに彼を見送っている《周瑜伝》。秦松は早く亡くなった張紘伝》。

参照曹操 / 孫権 / 孫策 / 張紘 / 張昭 / 陳端 / 劉備 / 魯粛 / 京 / 広陵郡 / 上客 / 謀主


秦松

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/18 18:33 UTC 版)

秦 松(しん しょう、? - ?)は、中国後漢末期の政治家。字は文表徐州広陵郡の人。『三国志』のいくつかの伝に記載がある。


  1. ^ この話は『資治通鑑』にも記載されている


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