出火の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/26 23:38 UTC 版)
「立憲政友会本部放火事件」の記事における「出火の発見」の解説
1919年(大正8年)10月7日午前2時15分ごろ、立憲政友会本部において、使用人として雇用されていた串田斧吉の長男である串田敏次郎(当時24歳)と次男である串田亀三郎(当時13歳)の両名が、政友会本館が炎上しているのを発見した。しかし、出火が確認されたころには、政友会本館の2階部分まで炎が達しており、政友会の党資料などの重要書類や2階娯楽室に掲示されていた、伊藤博文、板垣退助、西園寺公望、松田正久、長谷場純孝、植木枝盛、星亨の肖像画7点が焼失した。 なお、このとき、串田敏次郎、串田亀三郎の兄弟は、政友会本館2階大広間に掲示されていた御真影を退避させるため、炎上している本館に突入し、政友会本部の正面に所在する芝愛宕警察署に御真影を移すことに成功した。この行為に対して、当時、貿易会社「松昌洋行」の代表を務める山本唯三郎から金100円を、被災した立憲政友会を通じて、串田兄弟に届け、その行為を表彰したと当時の新聞は報じている。 消火活動は、内務省警視庁消防部(現在の東京消防庁の前身)によって行われ、ポンプ消防車による消火活動の支援によって、同日午前3時15分ごろ、鎮火した。
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