〒710-0141 岡山県倉敷市串田
串田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/09 10:26 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動串田(くした、くしだ)
地名
日本の地名。
姓
日本人の姓の一つ。
- 串田あきら
- 串田えみ、女優、声優
- 串田萬蔵、三菱銀行会長
- 串田嘉男、アマチュア天文家
- 串田昇、プロボクサー
- 串田晃、串田アキラ – 歌手
- 串田達也、アニメーション美術監督
- 串田麗樹、アマチュア天文家
- 串田正人、千葉大学、千葉大学大学院教授
- 串田彗星 – 彗星の一つ。名前は発見者の姓より。
- 串田・村松彗星
関連項目
- 串田病院
- 「串田」で始まるページの一覧
- 櫛田
- 串田神社(櫛田神社)
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串田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 19:46 UTC 版)
明治前期以前は児島郡串田村であった。郷内の最北部に位置し、東は植松(岡山市南区灘崎)、北は藤戸、南は林、西は曽原に接する。種松山の南東麓にあたり、郷内川沿いに続く南北に長い地区である。旧金比羅往来が南北に縦断している。 古くは櫛田とも表記されていたようで、元和元年の清田八幡神社の上葺再興棟札には櫛田村とある。 江戸時代になると、蔵入地(支配所、天領)となり、慶長9年の検地帳では、田16町余り・石高283石余り、畑8町余り・石高109石余りであった。また享保6年の蔵入知行高村分帳では、直高434石余りで、稲葉助五郎給地となり領地が変わっている。『備陽記』では、同年の田畑は24町5反余り、池9ヶ所、家数41軒、人口279人とある。 文化年間の『岡山藩領手鑑』では、再び蔵入地となっており、石高348石余り、直高434石余り、田16町余り、畑8町2反余り、池8ヶ所、樋14ヶ所、井戸7ヶ所、石橋2ヶ所、家数63軒、人口266人、牛25頭、寺1院(西方寺)、大工4軒、樋屋1軒としている。 『諸御用留帳』には、安政4年には小倉機22機、真田機1機、木綿機4機があり12人が従事しているとあり、郷内地内の周辺地同様に小倉織や真田紐をはじめとする繊維業が盛んであった。幕末の当村の名主で、明治には当村戸長をつとめた山本省三は、改正惣代として地租改正反対闘争を指揮した。 当地にある城山には鼻高山城址があり、『備陽記』によれば、元亀3年に毛利氏が築城し、本丸は15間の10間で、天正17年に落城した。 また当地にある塩干(ひぼうし)集落は、『源平盛衰記』巻42に「去りし冬土肥次郎実平、塩干に渡瀬を求めて、暗夜五十余騎を率し」とあるように、屋島(現高松市)を目指して落ち延びる地であったことに由来している。
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