串田とは? わかりやすく解説

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串田

読み方:クシタ(kushita)

所在 富山県射水市


串田

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒939-0413  富山県射水市串田
〒710-0141  岡山県倉敷市串田

串田

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/09 10:26 UTC 版)

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串田(くした、くしだ)

地名

日本の地名。

日本人のの一つ。

関連項目


串田

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 19:46 UTC 版)

郷内」の記事における「串田」の解説

明治前期以前児島郡串田であった郷内最北部に位置し、東は植松岡山市南区灘崎)、北は藤戸、南は、西は曽原接する。種松山南東にあたり郷内川沿いに続く南北長い地区である。旧金比羅往来南北縦断している。 古く櫛田とも表記されていたようで、元和元年清田八幡神社の上再興棟札には櫛田村とある。 江戸時代になると、蔵入地支配所天領)となり、慶長9年検地帳では、田16余り石高283余り、畑8町余り石高109余りであった。また享保6年蔵入知行高分帳では、直高434余りで、稲葉五郎給地となり領地変わっている。『備陽記』では、同年田畑24町5反余り、池9ヶ所、家数41軒、人口279人とある。 文化年間の『岡山藩領手鑑』では、再び蔵入地となっており、石高348余り直高434余り、田16余り、畑8町2反余り、池8ヶ所、14ヶ所、井戸7ヶ所、石橋2ヶ所、家数63軒、人口266人、牛25頭、寺1院(西方寺)、大工4軒、屋1軒としている。 『諸御用留帳』には、安政4年には小倉22機、真田機1機、木綿機4機があり12人が従事しているとあり、郷内地内周辺同様に小倉織真田紐はじめとする繊維業が盛んであった幕末の当名主で、明治には当戸長つとめた山本省三は、改正惣代として地租改正反対闘争指揮した当地にある城山には鼻高山城址があり、『備陽記』によれば元亀3年毛利氏築城し、本丸15間の10間で、天正17年落城した。 また当地にある塩干(ひぼうし)集落は、『源平盛衰記』42に「去りし冬土肥次郎実平塩干渡瀬求めて暗夜五十余騎を率し」とあるように、屋島現高市)を目指し落ち延びるであったことに由来している。

※この「串田」の解説は、「郷内」の解説の一部です。
「串田」を含む「郷内」の記事については、「郷内」の概要を参照ください。

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