惣代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 07:54 UTC 版)
惣代は惣会所に住んでいた。最初は北組に3人、南組、天満組にそれぞれ2人ずつであったが、次第に人数が増え、最終的は北組に7人、南組に6人、天満組に4人であった。天満組は郷の規模が小さかったため、すべて規模が小さかった。 惣代は元来、町々の町代であり、町代が順々に町奉行に赴いて、郷内の用事をしていたため、町奉行所では惣代といっていた。しかし、町々の用事が多いため、町奉行所にでるのは迷惑であるといって、人を雇って出頭させた。ところが、雇人が事務に熟達してきて、雇人だけで用がすむようになり、これを町奉行所で惣代とよんだ。 このように惣代は、郷内から扶持銀をもらう雇人であった。しかし、後に惣年寄と同じく世襲となり、町々からもらう扶持銀は、後におおいばりで町代に持参させたり、先取りしたりした。 郷によって違いはあるが、惣代一人の収入は大抵、一年銀3貫目ほど、これに年頭八朔などの役得が1貫目ほど、合計4貫目ないがいの収入があった。ただし、父子同時に勤めるときは、若干の合力銀を貰った。
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