浜田幸一による人殺し発言問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 00:36 UTC 版)
「日本共産党スパイ査問事件」の記事における「浜田幸一による人殺し発言問題」の解説
1988年(昭和63年)2月6日、衆議院予算委員会において予算委員長を務めていた浜田幸一は、この事件にふれて「我が党は旧来より、終戦直後より、殺人者である宮本顕治君を国政の中に参加せしめるような状況をつくり出したときから、日本共産党に対しては最大の懸念を持ち、最大の闘争理念を持ってまいりました。」「昭和八年十二月二十四日、宮本顕治ほか数名により、当時の財政部長小畑達夫を股間に……」「針金で絞め、リンチで殺した。このことだけは的確に申し上げておきますからね。いいですね。」「私が言っているのは、ミヤザワケンジ君(〔ママ〕。宮本顕治の誤り)が人を殺したと言っただけじゃないですか。」と発言し、国会の審議が空転する問題となった。浜田は同月12日予算委員長を辞任することになる(浜田幸一#「宮本顕治人殺し」発言)。
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