「宮増」を名乗る役者たちとは? わかりやすく解説

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「宮増」を名乗る役者たち

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/29 00:01 UTC 版)

宮増」の記事における「「宮増」を名乗る役者たち」の解説

他方同時代記録からは、「宮増」を名乗る能役者存在複数見出される宝生座系の名脇師であった生一小次郎の師で、室町前期頃に活躍したらしい宮増大夫(『四座役者』) 1478年文明10年)頃、大和国田部社・小田中社の楽頭であった宮増大夫(『大乗院寺社雑事記1478年8月20日の条) 観世座伝説的な小鼓名手で、観世与四郎音阿弥の子)や美濃権守小鼓の師・宮増五郎(『四座役者目録』) 6の祖父で、伊勢国下楠在して鼓伝書『風鼓』を相伝した宮増大夫 1465年寛正6年2月仙洞御所での演能帰途横死した観世座小鼓打ち宮増次郎五郎(『山科家礼記1463年3月21日の条、『親元日記』) 4の孫で、鼓の名手であった宮増弥七・弥六親次(弥左衛門親賢、16世紀半ば頃没)兄弟 延徳年間(1489~92)に活動した金剛座役者だったとも考えられる宮増三郎五郎 1509年永正6年8月ごろ、宗長日光鏡泉房を訪れた時に歓待し宮増源三(『東路のつと』) 1438年永享10年)、伊勢荒祭宮法楽猿楽行った宮益大夫(「一禰宜氏経神事日記」)

※この「「宮増」を名乗る役者たち」の解説は、「宮増」の解説の一部です。
「「宮増」を名乗る役者たち」を含む「宮増」の記事については、「宮増」の概要を参照ください。

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