「宮増」を名乗る役者たち
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他方、同時代の記録からは、「宮増」を名乗る能役者の存在が複数見出される。 宝生座系の名脇師であった生一小次郎の師で、室町前期頃に活躍したらしい宮増大夫(『四座の役者』) 1478年(文明10年)頃、大和国田部社・小田中社の楽頭であった宮増大夫(『大乗院寺社雑事記』1478年8月20日の条) 観世座の伝説的な小鼓の名手で、観世与四郎(音阿弥の子)や美濃権守の小鼓の師・宮増五郎(『四座役者目録』) 6の祖父で、伊勢国下楠に在して鼓伝書『風鼓』を相伝した宮増大夫 1465年(寛正6年)2月、仙洞御所での演能の帰途に横死した観世座の小鼓打ち・宮増次郎五郎(『山科家礼記』1463年3月21日の条、『親元日記』) 4の孫で、鼓の名手であった宮増弥七・弥六親次(弥左衛門親賢、16世紀半ば頃没)兄弟 延徳年間(1489~92)に活動した、金剛座の役者だったとも考えられる宮増三郎五郎 1509年(永正6年)8月ごろ、宗長が日光鏡泉房を訪れた時に歓待した宮増源三(『東路のつと』) 1438年(永享10年)、伊勢荒祭宮で法楽猿楽を行った宮益大夫(「一禰宜氏経神事日記」)
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