宮増とは? わかりやすく解説

宮増

(宮増五郎 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/17 06:12 UTC 版)

宮増(みやます)は、「調伏曽我」「小袖曽我」「鞍馬天狗」「烏帽子折」「大江山」などの作者として、各種作者付に名前が見られる人物。計36番もの能の作者とされながら、その正体はほとんど明らかでなく、「謎の作者」と言われている[1][2]


出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 西野春雄「中作能の作者と作品(四)宮増の能」
  2. ^ a b c d e f g h i 竹本幹夫「『自家伝抄』の資料性と能作者宮増」
  3. ^ a b c d 北川忠彦「謡曲作者宮増をめぐる試論」
  4. ^ a b c d 小林静雄「宮増研究」
  5. ^ a b c d 竹本幹夫「能作者宮増の作品と作風(上)」
  6. ^ a b c 天野文雄「「酒天童子」考」
  7. ^ 伊藤正義『新潮日本古典集成 謡曲集 中』
  8. ^ 石黒吉次郎「「鞍馬天狗」をめぐって」
  9. ^ 小山弘志『岩波講座 能・狂言 VI』

注釈

  1. ^ こうした状況を小林静雄は「全く雲を把みやうなもので、何うにも手のつけやうがない」と慨嘆している
  2. ^ 看聞日記』によると、永享4年3月14日伏見宮家で行われた丹波猿楽・矢田座の演能で、『自家伝抄』が宮増作とする「烏帽子折(九郎判官東下向)」、『能本作者註文』『自家伝抄』が宮増作とする「元服曽我(曽我五郎元服)」が上演されている
  3. ^ 音阿弥時代の番組表だが、編者である観世元章による後代の創作部分が少なくなく、現在では信憑性は低いとされる
  4. ^ 当初竹本は、小林以来の永享年間活躍説に批判的で、2を能作者「宮増」と同一人物と考えその活躍年代を文明年間前後に引き下げている。しかし9の記録を西野が示したため永享説を採り、2は「宮増」の子か孫と推測し、代わって5を「宮増」とする説を提示している
  5. ^ 竹本は「宮増」複数人説を、「合理的」としながらも『能本作者註文』の記述方法から否定的な見解を述べている


「宮増」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「宮増」の関連用語

宮増のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



宮増のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの宮増 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS