観世元章とは? わかりやすく解説

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かんぜ‐もとあきら〔クワンゼ‐〕【観世元章】

読み方:かんぜもとあきら

[1722〜1774]江戸中期能役者シテ方観世流15世宗家。左近称す田安宗武賀茂真淵らの協力得て謡曲詞章を大改訂した明和改正謡本」を刊行


観世元章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 13:41 UTC 版)

観世 元章(かんぜ もとあきら、享保7年(1722年) - 安永2年1月18日1774年2月28日))は、江戸時代中期のシテ方観世流猿楽師。観世流十五世宗家。観世左近と称する。

宗家十四世織部清親の子。初名清温。通称は三十郎・左近。国学を好んで考証を好み、田安宗武賀茂真淵加藤枝直等の協力のもと、「明和の改正」と言われる謡曲の詞章を大改訂を行い、『明和改正謡本』を刊行。しかし、詞章の大改訂は周囲には不評で、元章の没後数ヶ月で廃された。ただし、すべてが以前に戻されたわけではなく、新しい演曲や舞台上の演出に関する詞章の改訂、節付記号などは後代に受け継がれて現在に至る。作品「梅」は観世流の現行曲。

十代将軍徳川家治の若い頃から能楽の指南を務めたことから、1752年宝暦2年)分家を認められ、弟の観世織部清尚に別家させる。四座一流に次ぐ地位を認められ、幕府の演能にも出演する資格を得る。宗家伝来の面や装束も分与し、これがのちに観世銕之亟家となる。現在でも、観世流において「分家」といえば銕之亟家を指す。

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