梅若万三郎_(初世)とは? わかりやすく解説

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梅若万三郎 (初世)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/27 00:34 UTC 版)

初世梅若万三郎

初世梅若万三郎(しょせい うめわか まんざぶろう、1869年1月3日明治元年11月21日) - 1946年昭和21年)6月29日)は、観世流能楽師

人物

安宅」。最も数多く舞った得意曲であった

東京生まれ。明治の三名人といわれた初世梅若実の長男。父に師事して道統を継いだ。梅若吉之丞家を継承。弟に梅若六郎、子に梅若万三郎 (2世)、梅若猶義。

1921年(大正10年)いわゆる観梅問題のもつれから、六郎、観世銕之丞らとともに梅若流として独立。宗家となるが、1933年(昭和8年)1月観世流に復帰。1937年(昭和12年)宝生新と帝国芸術院創立とともに会員。1944年(昭和19年)朝日文化賞受賞。1946年(昭和21年)文化勲章受章。

その芸風は「目利きにも目利かずにも訴える」[1]「華麗で輪郭の大きい強靱な演技」[2]と評される。野上豊一郎は世阿弥の言葉を引き、「寿福増長の人」と最大限の賛辞を送った[3]。「明治の三名人」(梅若実、櫻間伴馬宝生九郎)亡き後の第一人者で、宝生新とともに「明治、大正、昭和にかけての名人」[4]と目される。

著書

  • 『能楽随想 亀堂閑話』(積善館、1938年)
  • 『万三郎芸談』(積善館、1946年)

脚注

  1. ^ 能謡観照
  2. ^ 能・狂言事典
  3. ^ 『亀堂閑話』「寿福増長の人・梅若万三郎氏」
  4. ^ 『亀堂閑話』再版時の観世銕之亟 (8世)の序

参考書籍

  • 梅若万三郎『能楽随想 亀堂閑話』(玉川大学出版部、1995年〈再版〉)
  • 西野春雄羽田昶『能・狂言事典』(平凡社、1987年)
  • 香西精『能謡鑑賞』(檜書店、1981年)

関連項目




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