宝生新とは? わかりやすく解説

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ほうしょう‐あらた〔ホウシヤウ‐〕【宝生新】

読み方:ほうしょうあらた

ほうしょうしん(宝生新)


ほうしょう‐しん〔ホウシヤウ‐〕【宝生新】

読み方:ほうしょうしん

18701944能楽師ワキ方下掛(しもがかり)宝生流10世宗家。名は「あらた」とも。東京生まれ明治・大正・昭和わたって活躍名人うたわれた


宝生新

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/09 05:49 UTC 版)

宝生新(ほうしょう あらた/しん、1870年11月16日明治3年10月23日) - 1944年昭和19年)6月10日)はワキ方宝生流能楽師。ワキ方宝生流十世宗家。本名、宝生朝太郎。

九世宗家宝生金五郎の子として東京日本橋に生まれる。八世宝生新朔は伯父に当たる[1]。7歳で『猩々』のワキで初舞台。伯父新朔や父につき修業し16歳で一時廃業するが、27歳で復帰して新と名のり、1905年 10世家元となる。 1937年初世梅若万三郎とともに第1回帝国芸術院会員。

門下から松本謙三、宝生弥一、森茂好など。

芸風は新朔に近く、繊細な謡を得意とした。美声とととのった容姿で「隅田川」「道成寺」などのワキをつとめ、明治・大正・昭和期に活躍し、名人と謳われる。夏目漱石に謡を教えたことでも知られる。

子に宝生哲。女婿に森茂好、孫に森常好改め宝生常三[2]。次女の女婿に宝生弥一、孫に宝生閑

逸話

犬が好きで飼育していた。子犬を一匹、弟子が風呂敷に包んで電車にて夏目家に運搬し、これを漱石が引き取った[3]。ただし後年そのことを忘れていたともとれる発言をしている。[4]

著書

  • 『宝生新自伝』能楽書林、1949年

DVD

脚注

  1. ^ 宝生新 コトバンク
  2. ^ “森常好師が宝生常三に改名、野口敦弘師が東條敦弘に改姓”. 能楽マガジン Noh +(ノープラス). (2023年2月15日). https://magazine.hinoki-shoten.co.jp/20230214_kaimeikaisei/ 2023年12月9日閲覧。 
  3. ^ 夏目漱石『硝子戸の中』
  4. ^ 宝生新『謡曲の稽古』



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