鷺流とは? わかりやすく解説

さぎ‐りゅう〔‐リウ〕【×鷺流】

読み方:さぎりゅう

狂言流派の一。室町初期の路阿弥流祖伝え江戸初期10仁右衛門の代に家系・芸系を確立観世座付きとして幕府重用されたが、明治末年廃絶。現在、新潟山口などに地方芸能として名残とどめる


鷺流

読み方:サギリュウ(sagiryuu)

狂言流派の一。


鷺流

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 16:36 UTC 版)

狂言」の記事における「鷺流」の解説

鷺流は徳川家康お抱え狂言師となった仁右衞門宗玄(1560–1650年)が一代築き上げた流派である。宗玄は、もとは山城国猿楽系の長命座に属していたが、長命座が金剛座吸収されてからは宝生座移り慶長19年1614年)に家康命令観世座座付となったのを機に一流をなした。家康寵愛され、大蔵流差し置いて幕府狂言方筆頭となって以降は、江戸時代通じて狂言界に重きをなした。芸風良く言えば当世風写実的悪く言えば派手で泥臭く卑俗なのだったらしい。宗家仁右衞門(さぎ にえもん)家、分家傳右衞門(さぎ でんえもん)家、門弟家に名女川左衞門(なめかわ ろくざえもん)家などがあったが、宗家はじめとしてほとんどの職分観世座属していた。 この観世座という巨大な座に頼り切った脆弱な構造災いし明治維新迎えるや鷺流は混乱極み達した時の家元だった十九之丞は変人評されるほどの人物で、とても流派統率する力はなく、困窮した職分大挙して吾妻能狂言参加した。これは能楽歌舞伎折衷した演劇で、成功せず明治14年1881年)頃までには消滅してしまった。そして明治28年1895年)に十九之丞が死去する宗家断絶。「松羽目物と言われる能楽写し舞踊劇演出多大な影響与えたその意味では、鷺流は今日歌舞伎によって継承されているということができる。なお鷺流の狂言自体山口県山口市傳右衞門派が同県指定無形文化財に、新潟県佐渡市仁右衞門派が同県指定文化財に、そして佐賀県神埼市千代田町高志地区高志狂言同県指定無形民俗文化財として残っており、時折国立能楽堂などで上演されたこともある。

※この「鷺流」の解説は、「狂言」の解説の一部です。
「鷺流」を含む「狂言」の記事については、「狂言」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「鷺流」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鷺流」の関連用語


2
人臆面 デジタル大辞泉
100% |||||

3
出勝ち デジタル大辞泉
96% |||||

4
清しめ デジタル大辞泉
96% |||||

5
物好き者 デジタル大辞泉
76% |||||

6
脛脛の伸びた奴 デジタル大辞泉
76% |||||

7
鞘走る デジタル大辞泉
56% |||||


9
如何な如何な デジタル大辞泉
52% |||||


鷺流のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鷺流のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの狂言 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS