一噌流とは? わかりやすく解説

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いっそう‐りゅう〔イツサウリウ〕【一×噌流】

読み方:いっそうりゅう

能の笛方流派の一。室町末期中村七郎左衛門流祖とする。その子弟子ともいわれる)、又三郎が一噌似斎と称し、それが流名となった


一噌流

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/03 07:56 UTC 版)

一噌流(いっそうりゅう)とは能楽笛方の一流儀。一噌と略されることもある。[1]

解説

名人笛彦兵衛弟子中村七郎左衛門が一家を立て、子の又三郎が一噌似斎とも称したところから流儀の名が興った。三世八郎右衛門以降は一噌を姓とし、江戸時代宝生流の座付きとして活躍した。近代の名人に十二世宗家一噌又六郎、島田巳久馬(一時宗家代理)、一噌正之助・一噌仙幸親子、藤田大五郎人間国宝)などがいる。

維新後、一噌又六郎、島田巳久馬の師弟によって流儀の統一がはかられたこともあって、役者・地域ごとの芸風の差は少ない。吹き込みを鋭く、装飾音を控え、簡素で力強い表現を目指すのが特色。東京及び九州が主要な地盤で、能楽協会に登録された役者は10名以上。元宗家は十四世一噌庸二。

宗家代々

  • 流祖 一噌似斎
  • 二世 中村噌庵
    • 流祖の甥の矢野新五郎の子。
  • 三世 一噌八郎右衛門
    • 二世の末子。
  • 四世 一噌六郎左衛門
    • 三世の兄の中村新五郎の子で三世の養子。
  • 十一世 一噌幸太郎
    • 十世の子。[2]
  • 十二世 一噌又六郎
    • 十一世幸太郎の次男。[3]
  • 十三世 一噌鍈二
    • 観世流シテ方武田宗治郎の次男、十世又六郎の弟の一噌要三郎の養嗣子。
  • 十四世 一噌庸二
    • 十三世鍈二の長男。

墓所は多磨霊園4区1種28側。

参考文献

  • 『能楽全書』(東京創元社)
  • 『能・狂言事典』(平凡社)
  • 『岩波講座 能・狂言』(岩波書店)

関連項目

脚注

注釈

出典



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