法相宗と徳一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 03:37 UTC 版)
日本での法相宗は、南都六宗の一つとして、入唐求法僧により数次にわたって伝えられている。白雉4年(653年)道昭(629年 - 700年)が入唐留学して玄奘三蔵(602年 - 664年)に師事し、帰国後飛鳥法興寺でこれを広めた。 徳一は一説には藤原仲麻呂(恵美押勝とも。706年 - 764年)の子といわれるが疑わしい。はじめ興福寺および東大寺で修円に学び、20歳代の頃に東国へ下った。東国で布教に努め、筑波山中禅寺(茨城県つくば市)・会津恵日寺(福島県耶麻郡磐梯町)などを創建したという。 前述のごとく、徳一の著作はほとんど現存していないため、その生涯は不明な点が多い。
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